四国八十八ヶ所参りシリーズの第四弾。今回は飛ばしていた愛媛県。思い返せば、2006年10月(36歳)にひとりで徳島県(1番から23番)。2008年4月(37歳)に町内のツアーで高知県(24番から43番)。同じく2008年の10月(38歳)に香川県(66番から88番)をまわり、すでに四国の四分の三をお参りしている。
3月28日深夜つまり、3月29日早朝の0:30出発。和歌山県有田郡より、バスで四国、愛媛に向かう。大阪、神戸、淡路島経由。早朝に着いた愛媛県の松山市北部の53番、円明寺というお寺がスタートだ。ここのお寺には、なんとマリア像がある。かつて、隠れキリシタンがお寺参りを装って、十字架に見立てた石塔に彫ってあるマリア像を拝む。異教徒の礼拝を許す懐の深いお寺が、昔から四国にはあるということに驚かされる。
続いて竹林を縫った参道を登ったところにある52番太山寺。まだ2つ目が終わったばかりと言うのに、昼食の時間となる。当初の予定では続いて険しい岩屋寺であったが、時間のかからない寺、44番大宝寺に先に向かうこととする。これは、少しでもお腹がこなれてから登山しようという、幹事のご配慮であった。
難所の岩屋寺は、文字通り岩盤に張り付くような小さな本堂であった。岩盤といっても、河原の丸石が大小そのままくっついたような、でこぼこの穴ぼこだらけの岩である。そして、左側に離れたところにある太子堂の方が大きく、初めて行くと、どっちが本堂で太子堂か、見間違えそうである。46番浄瑠璃寺では、だっこ大師というかわいい男の赤ちゃんの像があり、交替で、皆で抱き上げた。この日は時間が無く、47番の八阪寺までしか行けず、その日の宿坊、香園寺(こうおんじ)に泊る。外から見ると、どこかの市民ホールを思わせる、鉄筋の大きな建築物。内部もまた、コンサートホールのような折りたためる固定椅子。しかし、センスの良いことに、黒っぽい木目調の落ち着いた内装に、立派な舞台の上の堂々とした仏像が並び、和洋の良いところがうまくとりいれられ、なるほどと感じさせられた。中央では火をくべることが出来る。煙は下部の送風機と上部のファンで吸い上げられ、ろうそくや線香などの煙が、ちっとも客席まで来ない。ここのお寺の食事は、精進料理で質素であった。一日目はこのようにあっという間に過ぎて行った。
2日目は同じツアーの人とゆっくり会話出来た一日であった。集落のご近所さんから、初参加の喫茶店のマスター(箕島の有田警察署近くのサテン)のまで、色々な出身の異業種の人々との交流もまた、お遍路の楽しみの一つと言えよう。今回有難かったのは、20代の頃からお遍路に行きまくっているという大ベテランの「大先達(だいせんだち)」さんから、改めてお作法を教わったことだ。輪袈裟を留めるネクタイピンのようなクリップは、これまで、背中の中心線にそって、わざわざ首の真後ろに留めていたが、それを少し中央から右にずらすべきであるとか、特にお蝋燭は、灯りをともす時に、仏像に御尻を向けないようにすべきであるとか、今回初めて聴く注意が多かった。さらに、慢心になりつつある私を諌める出来事が一つあった。輪袈裟留めの位置に気をとられ、トイレに金剛杖を置き忘れてしまったことだ。前回、我流でまわっていたので、雨の日の作法や食事の作法など、適当であった。一度やり方を崩して身につけてしまうと、バスツアーの流儀を思い出すのに神経をかなり使う。金剛杖を忘れたのは、まったくの初めてであった。その直前まで、杖を間違う人や、杖を忘れる人を、皆といっしょにけらけらと笑っていたものだったが、いざ自分が忘れてみると、とても情けなく、恥ずかしくなった。身を引き締め、謙虚に拝まねばと、肝に銘じた。すぐ近くであったので、杖はバスの運転手さんが取りに走ってくださった。大変なご迷惑をかけてしまった。
2日目の寺も、個性豊かであった。左手を石に翳すと願い事が叶うという51番石手寺。今治市にある54番の南光坊では、太子堂のぐるりに、十二支が彫られている。美しい枝垂桜のある59番国分寺では、入り口に石があり、痛いところを擦れば、例えば「腰」という字が彫られている部分をさすると腰が治るという具合だ。こうして2日目が終了し、旅館に泊る。トイレはウォシュレット、風呂は天然温泉(沸かし湯)、とてもくつろげる宿であった。私は、他のツアー客が旧館の風呂に入っている間に、歩いて5分ほどの新館に行き、一人ゆっくりと湯船に使った。リゾート風の新館は、自然で高級感があふれ、お風呂の設備がまた素晴らしかった。
旧館の土産売り場にて、みかん売りの30代くらいのお兄さんと、みかんについての話で盛り上がった。四国愛媛のみかんも売れ行きが悪く、関東からの観光客が不況で減ってきているらしい。お遍路も個人旅行が増えてきている。団体客専門の大規模経営が成り立たなくなる日が、近いのかもしれない(そして、2011年3月11日の東日本大震災で、それは現実のものとなりつつある)。
3日目、旅館から小さなバスに乗り換え、6時58分発で60番横峰山に向かう。山の上の駐車場へ着いたら曇ってはいたが、案外眺めが良い。息が白くなるほど寒く、指先が冷える。それもそのはず、お寺に参る前に、冷水で手と口をお清めしてから参っているからだ。一度濡れた手はなかなか温まらないのであった。3日目にまわった寺は、平日のためか静かであり、アトラクションに富んで楽しかった。63番吉祥寺(きちしょうじ)では、金剛杖を持ち、目を瞑って石の穴に向かって歩いていく。うまく穴に杖が入ると、願いが叶うと言う。なかなか、大人の男性向きなアトラクションではないか。数人がやってみて、棒を穴にうまく入れたのは女性一人であった。しかも、彼女は何もお願いしないでトライしたという。つまり、心が乱れていては、穴に集中できないのだ。奥の深い「遊び」である。64番の前神寺では、イタリアのトレビの泉のようなところに向かって、コインを投げる。1円玉で行い、うまく岩に張り付けば願いが叶うと言う。思わず、むきになって、張り付くまで投げそうになる。なんだか、ゲームセンターの感覚で、ストレスが発散できる。65番三角寺では、入り口に鐘があって、一人ずつ鐘を撞いてから入場する。珍しい桜が色々植わっていた。こうして、無事に88ヶ所を巡り、懐かしの66番の雲辺寺にやってきた。まだ半年前に来たばかりの寺だ(日記その62を参照)。その時は一人旅で、初日の早朝、下から2時間かけて登ってきたものだった。今回は、ツアーなので、北部にあるロープウェーを使って登る。景色が良く、これまたよかった。懐かしの名水、工事中の本堂、ただただ懐かしい。最後の大興寺でおおきなカヤの木に再会し、今回の旅は終わった。八十八ヶ所は初めは寺の違いも分からず、作法の大変さばかりがのしかかったものだが、終わってみるとあっけなく、日常の一部のような何気ないものであった。日常が日常か、旅が日常か、もはや境目があって無くなっている自分があった。下山して新たな旅が始まる。
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