2011年5月16日月曜日

穂高岳沢での、雪崩目撃談(2001年5月2日~6日)

穂高岳沢での、雪崩目撃談
200152日~6
信州穂高岳沢コル
大橋L、浅井、松原、玉置、菰池(記)

このゴールデンウィークに私は、大橋一寛氏、松原正泰氏、浅井文倫氏、玉置淳子氏と5人で信州に行ってきました。普段テレビや新聞でしかお目にかかれない出来事、アクシデント等を、いろいろ体験しました。行楽への行き帰りの長い渋滞。今にも引火しそうなガソリン臭い対向車線を、冷や汗たらしながら通り過ぎた、自動車事故の数々。さらに、岳沢に入ったら、民間ヘリが滑落者を救助するところも目撃しました。その人は奥穂、吊り尾根から600m以上滑落し、足首骨折しているところを、翌朝、登山者に発見されました。滑落したのが不運なのか、落ちて骨折で済んで、しかもすぐ発見されたのだから運が良かったのか。運不運は、表裏一体です。
我々は幸運にも、誰も怪我することなく、事故に巻き込まれる事もなく、無事に行って降りてこられました。それは、運もあったでしょうが、時間帯に適したルート選択にあったと思っています。もしも、判断ミスで、5日午後の天狗沢を降りていたら、テレビや新聞で報道される事態となったことでしょう。
松原、玉置、浅井、大橋、菰池の5人は、5/2の夜から信州に入り、5/3に岳沢入りをして、ベースキャンプをはり、まず雪上トレーニングをする予定でした。5/4は奥穂南稜を登って、奥穂山頂に抜けたあとは稜線を西側に伝って、午前中にジャンダルム、天狗沢を通って岳沢キャンプに戻り、さらに5/5はこぶ尾根を登る計画を立てていました。しかし、仕事の都合で松原、大橋両氏が5/3昼に松本で合流する事となり、予定は1日ずつ遅れて、5/4にアイゼン歩きやアックスビレーのトレーニングとなり、南稜は5/5早朝3時に向かう事になりました。
私は、高山病がはかばかしくなく、風邪で微熱もあったため、涙のテント番に任命されました。5日はよく晴れ、星降る空の下、4人はさっそうと出発していきました。私は、4人の登る姿をよく見ようと、7時ごろに東向の奥明神沢を上り下りしました。しかし、南稜に4人の姿を見つける事は出来ませんでした。10時30分より、1~2時間毎に、無線連絡をする約束でしたので、テントにこもり、降りてくるはずの天狗沢を凝視しながら、無線でやり取りしていました。後で分かった事ですが、そのころ4人は間違って南稜より西側のルートを登り、時間がかかりすぎて、ジャンダルムに行く時間が無くなったそうです。そうとも知らず、天狗沢に人影を見つけては、あれがそうかと人数を数えていました。誰かはわからないが、何をしているかくらいわかる1.5~2kmくらいの距離でした。
やがて、午後になると南風が強まり、テントの周りに干したシュラフ等が飛ぶほどになってきました。2時を回った頃、ドーンという音が響き渡るようになり、天狗沢をみると、ぱらぱらと落石のように雪のかけらが落ちてきました。そのころ、天狗沢には1人で降りはじめている人と、稜線にいる4~5人のグループとがいました。雪の粒は2回ほど、落ちてきました。2時半の無線の時間が来て、4人がジャンダルムと天狗沢をあきらめ、吊り尾根を通って重太郎新道か奥明神沢かを通る事にしたと、連絡してきました。「向かいの天狗沢の雪も緩んでいるようですので、下りは気をつけて降りてきてください。湯を沸かして待っています」そう連絡を終え、湯を沸かそうとテントに入ったとたん、大音量の山鳴りが谷に響き渡り、あわてて外を見ると、目の前の天狗沢の右斜面、畳岩あたりが大きく崩落していくのが見えました。4~5人グループの歩いているすぐ右斜面の位置で、一人が、あわてて上に引き返し、ぎりぎり雪崩を避けていました。下はと見ると、まだ雪崩に気付かずに、歩いている人が1人見えます。グループの一人が、「雪崩!」「逃げろ!」と、下の人に向かって叫びました。彼はようやく見上げ、大量の雪が自分めがけて落ちてきている事に気付き、あわてて左斜面のブッシュに向かって走りはじめました。しかし、雪崩はもうすでに10mと離れていないところまで来ていました。「逃げろ!走れ!」と、私も必死になって、天狗沢に向かって叫びました。「早く!危ない!」。とても雪の急斜面とは思えないスピードで、それこそ天狗のように、その人は大股で走っていました。しかし、雪崩の方が早く、見る見る追いつかれていきます。彼がブッシュに飛び込んだ瞬間、そのブッシュの上を、雪崩が覆い過ぎていきました。私は、更に下を歩いている人がいないか、もしいたら雪崩を教えようと、外に出ました。岳沢を横切る人もなく、巻き込まれたのは天狗沢を通った人だけのようでした。雪崩は、天狗沢の次に岳沢を下って、テント場の数百m下でようやく止まりました。巻き込まれた人の救出のお手伝いが出来るよう、隣のテントにも声をかけ、ブッシュの周辺を見守っていました。やがて、しばらくしてから、雪の中からもぞもぞと人が這い出てくるのが見えました。木に捕まって助かったのでしょう。雪崩が止まったのを見届けると、またもや天狗のようなスピードで、ひとり駆け下りてきました。
もし、予定通りさっさと南稜を登って、午後の天狗沢に向かっていていたら雪崩に遭っていたのではないかと思うと、背筋の凍る思いがしました。前兆が始まったのが2時10分、雪崩が始まったのが2時40分。天狗沢は、山のベテランの間では、「雪ぴが崩れるから午後2時以降に通るな」と言われています。本当にその言葉通りの崩落でした。ベテランは、午前中におりるか、さもなければ夜6時以降の冷えて固まったところを、ヘッドランプをつけながら降りるそうです。雪山では、時間によって刻々と状況が変わります。状況に応じて、さまざまに対処する能力が、登山では要求される事を、この雪崩でしっかり胸に刻みこみました。

菰池 環

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