2011年5月16日月曜日

葛城山のツツジハイク(2004年5月12日)

葛城山のツツジハイク
2004512
大和葛城山
寺下L、松原、坂口、菰池(記)

今年に入っての紀峰沢部は、スキーに雪山に、岩、沢、ハイキングと多彩な活躍だ。昨年から恒例の桃ハイク(桃山町の桃を上からお花見)に続いて、今回は新企画、つつじを見るハイキングが行われた。場所は大和葛城山。てっきりかつらぎ町に葛城山があるのだと思っていたが、どうやら葛城山は2つあるらしく、かつらぎ町のは和泉山脈の葛城山であり、ロープウェーはないそうだ。ツツジで有名な葛城山は、金剛山のすぐ北隣りの金剛山地、奈良と大阪の県境に位地する山と知ったのはごく最近だった。
メンバーの誰もが初めての山。正確には、私は小学生の頃の遠足に、葛城山に大阪側から登ったはずだが、教師手作りのパンフレット頼りに歩いたためか、ルート等、さっぱり覚えていなかった。そもそも遠足は大和葛城山であったのか?(和泉葛城山かもしれない)。小児喘息のあの頃は、炎天下の遠足が大嫌いだったのだから、無理も無かろう。ただ、大阪の南の方の村から登ったというイメージしかない。今回登る奈良側はロープウェーがあるため、観光化されているようだ。見頃の土日はかなりの人出だろう。先週行った人(有限会社末広みかんの大橋末子氏)の情報によると、すでに満開のピークは過ぎているという。平日でもあるし、きっと空いていると信じて向った。
12日朝、7時にいつもの田井ノ瀬橋に集合。紀の川沿いに東へむかい、五條から御所(ごせ)へ北上。途中でコンビニに寄り、いつもの沢やハイクのようにビールを購入しようか迷うが、リーダーの決意は固く、真面目にビール無しで登ることになる。しかし、この日の天気は暑く、みるみる体の水分が失われていくよう。フライパンのような熱気と照り返しの駐車場からロープウェー駅に向かううちに、早くもその気力はくじけ、始めのビールを購入する。
もたもたしているうちに、つぎつぎと観光バスがやって来て、まだ人の気配のなかった登山道に行列が出来はじめていた。ありのようにゆっくりぞろぞろと進む。くじらの滝、二の滝も、休憩する人であふれている。「リーダーぁ、そろそろビール開けませんかぁ」たびたびの誘惑に、ついにリーダーも根負け、休憩の間に2本も開けてしまうが、こういうビールのうまさは格別だ。開けるたびに、今日初めてのビールのように新鮮で、冷たいのどごしに酔いしれてしまう。汗もみるみるひいていく気がする。実際は、飲めば飲むほど血行が良くなって汗が噴き出、いっそう消耗していくのだが。人里離れた山奥へ向かうわけでも無し、「たかが2時間のハイクよ」というおきらく加減で、よいよいのまま山頂に。
かつらぎ山頂は生石山の上のようなだだっ広い影のないところ。ビールとアイスクリームが飛ぶように売れている。我々も冷や酒を試飲した後、ビールを購入する。トラックも上がって来れる。電気が来ていて、屋台のなかには冷蔵庫も電子レンジもある。ロッジには温泉まである。山=アルプス、へりでの荷揚げ、なんて思っていると拍子抜けだ。そういえば、標高960mというのは、信州の白樺湖よりも低いんだっけ。当然といえば当然か。イヌ連れも56組みあり、近所の公園のサクラ祭りといった雰囲気だ。眺めは、下り坂の天気でガスっていて、大阪側はさっぱり。奈良側はかろうじて平野が見える程度で、大台ヶ原もかなり薄っすらだ。ビールを飲みつつ昼食を食べたら、いよいよつつじに期待。だがやはり、つつじは木に1割ほどしか残っておらず、ぱらぱらといった様子。あわいピンクや紫のような色から咲いて、すでに散っている。風の弱い谷間に濃いピンクや鮮やかなオレンジ系の物がやや残っている。花が咲いているところでは、まるで飛び出す立体画像のように、周りの景色からぽこっと浮き出ていて、これが満開だったら幻想的で見事だろうなあと残念だった。ただ、1本だけ、満開の木があって、その周りに人が群がり、携帯電話でデジタル写真を撮っては知人に送っていた。なんか、時代だなあとみょうに年寄り臭く思ってしまった。
そうこうしているうちに、ロープウェーで大量に人が輸送されてきた。頼りなげに杖にすがる白髪の老人、ベビーカーにへそ出しのギャルママ。山頂の幅2~3mの舗装道路は人であふれ、まるで繁華街のようになってきた。その人達の大部分が、歩いて下山しようとしてる。何かが違う。このままロープウェーで下山して、近くの当麻寺に転戦することになった。
ロープウェーは混雑しているものの、なんとか30分待ちで済みそうだった。その間に、今日の山行のメモを取っていると、リーダー寺下さんが携帯に映っている3人の人物を見せに来た。右端に寺下さん、真ん中にいるのは、寺下さんに似た雰囲気の人で、親戚のおじさんか?左端の小柄な女性は誰だろう。愛人か?どぎまぎして返答に詰まっていると、「この端っこは妻です」と言う。「真ん中の人に見覚えない?」と聞くのでよくよくみると、かの有名な間 寛平(はざまかんぺい)氏であった。テレビ(ちちんぷいぷい)の生中継に、たまたま遭遇したときに撮ったそうだ。「真面目な人で、ちっとも冗談を言ってくれなかったよ」とまあ、寛平ちゃんにかこつけて、寺下夫婦あつあつのショットも見せていただいた。ごちそうさまである。
当麻寺も小学生の頃に電車で行ったはずだが、当時はなんでこんな古いお寺が面白いのだろうと思ったものだ。興味関心が無いと、しんどい思いでばかりで、風景の記憶が全然ないのが残念だ。大きくなって古文を習った頃、教科書に当麻寺が出てきて有名だったことをようやく知った。牡丹で有名というのに、今年はどんな花も早かったらしく、すでに散っていた。ツツジと同じくいつもは5月中旬なのだそうだ。2日後の14日(2004年時、本年はまた、各自お調べください)に中将姫のお祭りがあるとかで、本堂の周りに特設の廊下が設置されていた。中将姫といえば、和歌山県有田市のお寺が有名だ。奈良にも「ゆかりの寺」があると知って意外だった。中将姫の像も現代風でおもむきがなく、牡丹園のゲートは虹の柄でまるで田舎の遊園地のよう。せっかくの伝統的なお寺なのになあと、ため息をついた。散ったボタンの代りに、シャクナゲとシャクヤクの園を見てきた。水琴窟(すいぎんくつ)という、つぼを逆さに半分埋めて反響させる風流な音色も聞こえて、なかなかよかった。
奈良盆地は和歌山とはまた、風景が違う。柑橘の果樹があまりない。平野が多く、畑の作物も、ネギやマメが多い。なにしろ、土が川砂の様で、白っぽく痩せている。葛城山の途中に、「婿洗いの池」というのがあって笑った。説明書きによると、「水不足を解消しようと、龍神に祈るために、他の町から来た婿養子を池に突き落として半死半生の目に合わせた」というが、むかしの食糧不足はさぞかし深刻だったのだろう。その池も、いまでは観光名所。春のツツジと秋のススキで、葛城山は賑わい、ふもとの御所の人々も、観光客の落していくお金で潤うのだろう。かつて体を張った婿どのは、現代でも感謝されているのだろうか。
和歌山市から車で一時間半、登りもたった2時間ほど歩けば行ける手近な葛城山。来年は開花をよく調べて、身頃に山行をもって行きたいなあ、それも、ロープウェーでいろいろ持ち込んで宴会だ!と、寺下さんはやる気満々。人が多いのは大変だけど、人込みを押して出かけた甲斐があった山行だった。

時間経過は以下の通りである。

7:00 田井ノ瀬発(和歌山市)        14:10 ロープウェー山頂駅着
9:00 ロープウェー駐車場着            (ロープウェーは30分待ち)
9:30 ロープウェー駐車場発         15:45 当麻寺着
10:10 二の滝(行者の滝)          16:00 当麻寺発
11:30 山頂                 17:30 田井ノ瀬着
  (昼食、つつじ散策)

この文章は、2004年に和歌山県勤労者山岳連盟「紀峰山の会」の会報に掲載されたものの、転載です。

0 件のコメント:

コメントを投稿