2011年5月29日日曜日

2009年9月 この歳になって教育実習の巻

今回は「特別支援学校」の免許獲得に奮闘する、教育実習の日記である。サッカー、柔道、登山、声楽、バレエ、お遍路……今までの様々なチャレンジの中で、一番お金がかかったと言ってもよい。費用は全部で261500円である。それでも、教員免許や大卒の資格がない人に比べればはるかに楽である。一からとると、4年間で83万円かかる。お金はかかるが、私立なので、ケアがとても丁寧であり、金銭的に余裕のある人が何か資格を取るなら、仏教大は超おすすめである。
スクーリングは優秀な成績でクリア、全て合格した。仏教大のレポートは、着々と仕上がり、夏休みまでに全14科目のレポートを仕上げた。試験も全13科目のうち、913日までに11科目を受け、そのうち9科目合格した。残るは1018日にある2科目の試験と、2週間の教育実習だけとなった。ちなみに、残る2科目というのは、「病弱虚弱児の指導法」と「同和教育」であるという。病弱児というのは、手術や投薬などで、登校できなかったりケアが必要な子ども達のことである。今はガンの子どもが増加しているらしい。戦後の一時期は、肢体不自由児の学校に、脳性麻痺(小児麻痺)の子どもが増加した時期もあったが、今は減少しているそうである。障害にブームがあるということは、原因に化学物質が深く関与しているということであろう。ちなみに、有機系の殺虫剤は神経を犯し、脳性麻痺だけでなく欝病などの原因も疑われている。ダイオキシンは一般に認知されている催奇性、発ガン性物質であるし、人工甘味料は、学習障害や多動性障害の子どもとの因果関係が指摘されている。子ども達は、膨大な人体実験を行ってしまった現代社会の薬害の被害者なのだ。さまざまな障害を抱えているのは、決して親の育て方が悪いのではなく、急激な工業化や薬漬け農業に責任があり、その子ども達を教育し、自立させていくのは、社会全体の責任であると私は思う。
さて、現在勤務中の高校の、2週間分の自習課題と復帰直後に必要な、中間考査の問題を作成し、教育実習先の3回分の学習指導案を作成し、プリント2枚を用意して、930日を迎えた。最初に職員朝礼でご挨拶。挨拶文は考えてあったし、年の功でこれはクリア。急に高校生の前で自己紹介の時間をとってもらったのには参った。事前に、「上は一般校と変わらない知識や計算力の子どもまでいる」と聞いていたため、どの年齢に焦点を合わせたスピーチがふさわしいのか、想像も付かないのだ。結局、幼稚園児くらいが中間かなあと思い、極力ゆっくりと名前をいって、「一緒に勉強したり遊んだりしましょう」とスピーチを締めくくったが、先生方には不評であった。まず、短すぎた。内容は高校生にふさわしいものが求められていたのだ。
実際に授業にいってみて分かったことだが、どんなに国語や数学が苦手な子どもでも、言葉で返事が出来ない子どもでも、大人の話はかなり理解できているのであった。外国に行って、わかってもらおうと身振り手振りを交えて一生懸命話すと、案外気持ちが通い合ったりする。どうせ分からないだろうと思って話すと通じることも通じない。障害者問題は、外国人問題や同和問題に通じる。障害児教育を学ぶ者は同和教育を学ぶべきだと、仏教大学できいてはいたが、単に差別や人権の話と受け取っていた。相手を尊重し、人と人とが心を通わせるという共通点、教育の原点、あらためてこういうことだったのかと理解する。実習前に分かっていれば、この最初のスピーチで、高2の理科の授業を2週間受け持つこと、趣味や特技など生徒が興味を持ちそうなことを色々話していたことだろう。悔やまれた。
生徒の中には、IQが高くても、握力が無いためにスプーンやゴムのズボンをしっかりとつかめなかったり、あるいは筋肉の麻痺のために思うように口が締まらず、よだれがこぼれる者もいた。一方で、何もかも自分で出来て、学力も高いのに、コミュニケーションに障害のある自閉症の子どももいる。彼らも、自分が人と上手く関われないことで悩んでいるようだった。
スポーツをさせてみると、自閉症という障害についてよくわかる。試合の駆け引きに長けるダウン症の子ども達に対し、体格に恵まれ学力も高い自閉症の子ども達は、味方や敵の意図が読めず、棒立ちになってしまう。防御やパスのために自発的に動けない。やるべき事は解っているのに、今がそのシチュエーションであると言うことを、他人にいって貰わないと気づけない。そんなわけで、ホームルームで、自分の決められた役割は丁寧にきちんとこなせても、休んでいる子のかわりに、あるいは忙しそうな子の手伝いに、なんで積極的に動けないのか、気を利かせられないのか、スポーツする姿で納得した。
自閉症でない子どもでも、気働きの出来ない子供が増えている。そんな子ども達にどう接すればよいのか、あるいは学習障害の子ども達への接し方、色々参考になった。実習に行くまでは自分が特別支援学校が向いているかどうか分からなかったが、少人数教育、6歳から18歳までの一貫教育というのは、なかなかいいものであるとおもったし、フレンドリーで、他人との違いを尊重する、あるいは自分と違う人でも許容する、そんな職場というのは、今どきなかなかないのではないか。とても健全な職場だ。特別支援学校で働くのは悪くない。最後に、打ち上げに韓国料理店で焼肉をご馳走になった。よき思いでだ。
この2週間を得るためのこれまでの苦労を思い出した。3月に必死になって探した実習先。いろいろな方のご協力でようやく得たチャンスだった。今の勤め先には、多大なるご迷惑をかけた。2週間の授業の振り替えの影響は7月末から10月中旬まで続いた。そして、実習先では、若くも無い生意気な実習生相手に、丁寧に指導してくださった。実家の家族の生活をも、2週間蝕んだ。その結果が、この悲惨な研究授業というのがなさけなく、もどかしく、はずかしかった。皆さんに謝ってすむ問題ではなかった。これは、ぜひとも支援学校を受験し、はれて正規の職員にならねばご恩返しできまい。実習を終え、すぐにまた教育実習簿を完成させる最後の作業があり、届けに行ったところ、その日はちょうど遠足で、学年の慰労会に招いてくださった。「是非、うかってうちにきてね」、優しいお心遣いに、目頭が熱くなった。
さらに、仏教大学の最後の2科目の試験が待ち構えていた。勤め先の中間試験の採点も手をつけず、ひたすら受験勉強し、ようやく全科目をクリア。あとは免許状を1月始めに大学経由で京都府教育委員会に申請するだけとなった。ここで、ほっとして気が緩まないよう、私は11月から体力づくりに励むことにした。ミニサッカーのような競技、「フットサル」である。フットサルについてはまた別の日記にて。番外しもたま教育実習日記はこれにておしまい。これまで、プライバシーの関係もあって、学校ネタは極力控えてきたが、今回は明るく元気な一方で、自分自身の能力や心ない人の言葉や態度に悩む障害児達と支える先生方の姿をどうしても伝えたく、ペンを取った。皆様、ご愛読ありがとうございました。    

0 件のコメント:

コメントを投稿