2011年5月28日土曜日

2006年5月14日県連の救助訓練

さて、2006年5月14日になった。カナダ人ドーンストルバーグさんから連絡がない。何か手違いがあったのだろう。私たちは家で待つのをあきらめ、県連の救助訓練に向かった。紀北の雲山峰で、無線を使って遭難者を救出する練習をするのだ。7時過ぎに菰池が、県連救助隊長と現地に着いたときにはすでに、中継隊のお2人が青年の森(尾根にある広場で、谷筋からの電波を受けやすい水)に向かわれていた。遭難者役は理事長の雑賀さんがかって出てくださった。無線の数が約10台あったので、本部1、中継1、遭難者1、残りの7台を捜索班に配った。後で考えると、中継に最低2台は必要であったが、そのときは予想だにしなかった。私も、みちくさの小橋さんたちの井関峠を通るグループに混ぜてもらい参加した。前夜の雨の予報は一転、とても気持ちのいい天気だった。本物の捜索ではないので、気楽なハイキング。普段はなかなかご一緒できない他の山岳会の皆さんと歩くのは面白い。それぞれの近況に始まって(たまたまであるが、同じ角谷整形に通っている方とご一緒した)、かつて起こった実際の事故の話など、話に花咲いた。特に、以前救助隊が動いた話は、リアルで参考になることが多かった。地震などの災害では、過去の話を子孫に伝えた地域は、伝えない地域よりも防災意識が高く、いざというときに被害が小さくなるという。地震の津波の前兆や、逃げ方を伝授していた和歌山県有田郡広川町では、浜口御陵の「稲村の火」のように、津波から速やかに避難することが出来た。人類が栄えたのは、高齢者を大切にし、過去の経験を子孫に伝えてきたからという生物学者もいる。話はそれたが、救助訓練という機会がなければ、貴重な体験談を聞くことはなかっただろう。それだけでも山狩りは有意義な時間だった。
さらに有意義な実体験が待ち構えていた。無線がつながらないのである。緊急時、一斉にかける安否確認で電話が使えなくなる、あの状態が無線で起きてしまった。たった1台の中継地点で、本部1台+7台の無線と交信するのは、神業だった。青年の森にいらした山入さんと堺は最初から最後まで休憩なしだったようだ。やがて、全員が青年の森に集合し、いよいよ本格的な山狩りをする班と、救急講習会をする班に分かれた。私はみちくさの高瀬さん(かなり精力的に本格登山に行かれている。もう、お孫さんがいておばあさんとは、聞くまで信じられない方だ)と一緒に広場に残った。「竹やぶで、こっちが遭難しそうだ!」という無線も入り、捜索は難航した。1時間を過ぎたころに「笛の音が聞こえた」という一報が入り、皆でもう見つかったかのように喜んだのもつかの間。その後、笛の音の方角をめぐって混乱が始まり、雑賀さんが一人寂しく登山道に自力で出てきて時間切れとなった。遭難者用の笛と言うのは、聞き取りやすい音がするが、遠くまで広く良く響きわたるため、どこから聞こえてくるのか、どのくらい近くから吹いているのか(指向性や距離)が、まったくわからないのである。教訓。自分(たち)の身は、自分らで守れ、何事も人に頼ってはならないのである。 

0 件のコメント:

コメントを投稿