2011年5月16日月曜日

酒乱たまらんイラン旅行(2003年6月)その2

酒乱たまらんイラン旅行(2003年6月)その2

<イランの観光>……北部カスピ海沿い
イラン北部のギーラーン州にあるマースーレーという集落も、私のおすすめだ。今回は日帰りだったが、再び行けるとしたら、是非とも数日は滞在してみたいところである。にぎやかなテヘランやイスファハンと違って、車の入ってこない、山奥のとても静かな村だ。それもそのはず、町の通りはそれぞれの家の屋根であり、とても車が通れる状態ではないのである。山の斜面に向かって、ひな壇のように段々に家があり、すぐ下の家の屋根(木の板の上に土を乗せただけ)を通って人々が出はいりする。下から見上げると、玄関と家の窓ばかりが見え、上から見下ろすと、土の道ばかりが見える。斜面の山側に家、谷側には道と決まっている。道を挟んだ向い同士に、建物があることはめったにない。さっきまで1階にいるかと思えば別の家の3階の屋根にいたりして、「視覚の錯覚の絵」の様な立体迷路で面白い。古い家は100年を超えるというが、雨は日本並みに降り、しかも屋根の上を人を通る宿命で、ある日突然、屋根が陥没して家の寿命は尽きる。陥没した家々のあとには、家具などそのまま残っていて、地震の被災地のようで、住んでいた人のことを思うと、かっこいい街とばかりは言っていられない。近頃では、伝統的な木の家をやめ、コンクリートで補強した家になりつつある。今のところは、人力で運べるものだけが街に入り、あとは自給自足のようだが、そのうち、車が入れるようになったとしたら、マースーレーの秘境らしさは、失われていくのかもしれない。いろいろ変らないうちに、また来て見ておきたい。この観光地に、日本人(JIKA)が来ていると聞く。この街にいまさら何を付け加えようというのだろうか。まさか、すべて瓦屋根にでもしようというのだろうか!?もしもそうなったら、反対の山から見たら、まるで日本のお城のような外観になること請け合いだ!(冗談です。道がなくなり、生活できなくなります)

カスピ海沿いの海岸の風景は、平野が続き、黒い穏やかな海があり、「夏の日本海沿い」といった雰囲気だ。バンダレ・アンザリーという港は、ロシア人が開港したといわれ、街の建物もなんとなくロシア風。歩く人々も、イスファハンよりも背が高く、ロシア風な人が多い。といっても、私はまだロシアにはまだ行ったことがないので、写真やテレビのイメージで言っているだけであるが、、、スカーフもカラフルで、今まで歩いた都市の中で。一番自由な感じがした。ここでは、日本で働いたことのあるイラン人男性2人と出会った。1人はスカーフ屋さんで、私がゾロアスター神殿で出会った西洋女性のターバンを思い出し、ターバンに巻けるような青いコートにあう青いショールが欲しいと、日本語で尋ねると、「長いショールは着こなしが難しいですから、短いスカーフが無難ですよ」と流ちょうな日本語で帰ってきた。結局、かっこいいターバン風ショールはあきらめ、青い絹のスカーフを土産に購入した。もう1人は、夏だけ営業のデザート屋。冬は近くで日本そば屋をやっているらしい。日本の職人風に、ねじりはちまきを巻いている。私たちが行った時は、日本のビールのジョッキにもりもりのアイスパフェの写真が飾られ、軒に実際にいくつものジョッキがぶら下がっている。メロンジュースを飲みながら、これが本物のビールだったら、、、とついつい思って、「酒乱」は近くのノンアルコール屋に買いに走ってしまうのであった。
バンダレ・アンザリーでは、男女別々の海水浴場があると聞き、タクシーを使って行って見た。しかし、当日は波が高く、といっても日本の太平洋から見たらささやかなさざなみであったが、遊泳禁止とのことであった。「今年の初泳ぎはカスピ海だぜ!」と意気込んで出かけただけにとってもがっかりである。でもまあ、沙漠の町から来た慣れない人が、いきなり波のあるカスピ海で泳げば、波にもまれて溺れるのかも(男女の遊泳場は互いにみえないようビニールでしきられているが、それが高波でまくれ上がって、お互いをのぞかれると困るというが、本当の理由かもしれない)。
このままテヘランに帰るのは悔しいので、ホテルに戻り、近くのボートツアーに出かける。カスピ海とつながっている、大きな日潟を巡るコースだ。国際的に有名な自然保護区で、一般に観光化されている。料金にいろいろランクがあり、1時間だとかなり野生動物の観察が出来るらしいが、所持金の都合で40分のツアーを頼む。それでも、鳥撃ち小屋のそばのカエルや小魚、野鳥が見られて、イランの自然の豊かさに触れる事が出来てよかった。

<イランのファッション>
男性の服装は日本とあまり変わらない。ネクタイ無しのシャツとズボン。パキスタンと違い、半袖の人もいる。きちっとした服装、きちっとした髪型で、おしゃれを競っている。イスラム圏によくある、伸びたひげも少ない。少年達は、イギリスのええとこの坊ちゃんのような服装をしている子もいる。日本のように、ずるずる引きずったずぼんや、穴の開いた服をファッションと認めていない。
女性の服装は、10年前は、目だけ出した黒ずくめの人をよく見かけたという話を聞いたが、今回は一度も出会わなかった。低学年くらいまでの女の子は、髪も愛らしくヨーロッパ風のドレスを着てかわいい格好をしている。大人が許されていない分、親は子供に贅沢にいろいろ着せて、発散しているのかも。我が子をよりかわいく見せたい気持ちは、日本の親とおんなじなのだろう。少女達は、カラフルなコートとスカーフで身軽。OLは、東欧の女性のような地味なコートだが、簡単なスカーフにサングラスをかけてさっそうと歩いている。結婚した女性、真面目な女学生は、黒いコートに黒いかぶりもので、ほとんど肌を出さないようにしている。年輩の女性は、その上からさらに頭から足先まで、黒い布でぐるぐる巻きにしている。30度以上の夏にしては、かなりの厚着である。
イスファハンでは、より現地に溶け込むために、現地に合う長袖長ズボンを着ていた。それでも、「ジャパン?コリア?チーノ?」「おしん!(NHKのドラマ)」「ナカタ!(サッカー日本代表)」と聞かれる。いくら衣装を現地で調えようが、顔の彫りの深さが違うので、中国や韓国旅行のように、道を聞かれるほど現地に溶け込むわけにはいかないのだった。

<イランの家族>
イスファハンからテヘランまでの移動に、寝台車を利用したが、このとき、6人のコンパートメントに、われわれ2人以外に4人の家族が一緒だった。海軍のエンジニアのお父さん、かぶり物の中に豊かな金髪を隠しているお母さん、女子高生のペガー、妹のパルニアンは8歳で愛くるしい。南部のバンダラバスに勤務していて、テヘランの姉に会いに行くところだという。この一家、なぜか怪我をしている。お父さんは手。お母さんは左腕の骨折。お姉さんは首のむち打ち。聞くと、最近、交通事故にあったばかりという。そういえば、イスファハンでも、かわいい顔の女の子が、時々鼻に添え木を当てていたりしていたが、はやりの美容整形ぐらいに思っていた。本格的な歯列矯正している子も、たまにいたから。今から思えば、あの鼻は交通事故だったのだ。
イランの人々の運転は荒い。一家5人がバイクにぞろぞろまたがってぶっ飛ばすタイよりも、狭い渓谷でチキンレースさながらのすれ違いを見せるパキスタンよりも、もっとすごかった。イランでは、一車線ずつの登りのトンネルの中で、対向車線に大型バスやトラックが来ているにもかかわらず、そいつらに急ブレーキをかけさせておいて、路線バスがのろい自家用車をあたりまえのように追い抜いていく。歩行者の場合、関西のおっちゃんおばちゃん並の、強引な列のわりこみ、無謀な道路横断、なんでもありなのだが、車の運転でもそのまんまの感覚なのだ。交差点は、信号無視で突っ込んだもの勝ち。よくまあ事故がないなあと思っていたら、やっぱり案の定多いらしい。4人家族にであったあと、気をつけて街中を見てみると、フロントガラスが蜘蛛の巣のようにひび割れている車や、腕を吊ったり松葉杖をついている若者が結構目に入るようになった。戦争で死ぬことを思えば、たいしたことがないのであろうが、もう平和が長くなったのだから、命を大事にして欲しい。イランの人々よ。
話しを4人家族に戻そう。父ちゃんが話し始め、しだいにかあちゃんが、娘を突っつきはじめる。「英語の練習のために、仲良くするんですよ!」といいたげだ。娘は、日本の16歳だったらもっと反抗しているだろうに、落ち着きがあって、かあちゃんにおとなしくしたがっている。娘と英語で文通の約束をする。かあちゃんは満足げである。しかし、聖地の巡礼と間違われたのか、私がイスラム教徒ではないとわかるとふんと笑った。失礼な。文通の約束は、まだ守られていない。
イランもアジアだと思ったのが、家の中ではあきらかにかあちゃんのほうが強い。外で交渉するのが夫であっても、決定権はおそらくかあちゃんにあろうかと思われる。女性の権利をいくら剥奪しようとも、そんなハンディをものともしない強さが、イラン女性にはある。若い頃は親に、結婚したら夫に頼ろう!というあまーい日本女性よりも、よっぽど自立している人が多い気がする。今はおとなしげな女子高生ペガーも、数年もすれば、かあちゃん顔負けのたくましいイラン女性に変身することだろう。

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