2011年5月16日月曜日

酒乱たまらんイラン旅行(2003年6月)その1

酒乱たまらんイラン旅行(2003年6月)その1

<まえがき>
タイムマシンの旅、別世界への夢の旅をかなえてくれる国が、まだまだ世界にはある。イラン(イラクではない)。 Tシャツやジーンズ、コーラやハンバーガー、どこの国へ行っても、都会の風景はあまり変らなくなってしまった。だが、イランは違う。男性のネクタイは、西洋的なので禁止。女性はスカーフ着用義務。カードもトラベラーズチェックもほとんど通用しない。酒は一滴も売っていないし、エロ本どころか、肌をさらした女性の登場する本すらない。ソ連も中国も自由化政策で西洋化してしまった今となっては、イランはとても貴重なところだ。
行く前の私の知るイランは、3つのイメージ。まず、黒いチャドルで覆われた女性―ペンギンのような格好―に象徴されるように、イスラムの厳格な国というイメージ。しかも規則は、外国人にも異教徒にも容赦しないのだ。もう一つのイメージは、イランに行ったことのある人々の「イランはよかった!」という証言。見ず知らずの人が親切に家に招いてくれた話。美しいモスクや遺跡。制度は厳格な国なのに人々や建物は親しみがありそうだ。最後のイメージは、世界史に出てくる「ペルシャ」国のイメージ。シルクロードの東西の中継点であったために、アレキサンダーなど外国にしょっちゅう征服された。ペルシャグラス、ペルシャ絨毯の国。さてさて、私の見るイランは、果たしてどんな国なのか、行ってみてのお楽しみである。そう、シュミレーションゲームや、アトラクションのような気分での出国だった。
6/26~7/5のうち、実際にいるのは8日間ほど。飛行機はトルコ航空でトルコ経由、イラン航空でテヘラン入り。夜行バス泊、内陸部のエスファハン2泊、寝台列車泊、カスピ海沿いのラシュト1泊、バンダレ・アンザリーに1泊。最後のテヘランに2泊。イランの乗り物は、聞いていたとおり安い。さすがは産油国だ。

<イランの食事>
数年前にトルコやパキスタンに行ったことがあるため、イスラム圏の食事は想像がつく。ケバーブという焼肉が代表的。もちろんイスラムで嫌うブタ肉だけは除く。パン類もその場で焼きたての店が多い。生活水準が豊かなイランでは、地鶏のチキンばかりではなく、ラム(子羊)もビーフもやわらかく、くせなくおいしい。日本の霜降り和牛に負けないほどなのだ。チキンは、トマトと一緒にグリルされたり、炭火で焼き鳥になったりする。イランでは旬の物を、素材の味を大切してに味わう。胡瓜のピクルス以外、保存食らしき物は見かけなかった。味付けも塩とトマト風味が多い。日本ほど、食材の数も少なく、調理法も限られている。しかし、カスピ海側では、魚のムニエルや、ナスの炒め煮など、日本人の口に合う食材が加わる。さらに、トルコ料理店やインド料理店などがあり、いろいろな国の料理も食べられるから、飽きることはなかった。
そして、極めつけがフルーツジュース。沙漠の暑い太陽のせいか、メロンにチェリーにマンゴージュースも甘くておいしい。ええ歳の「おっさん」らまでが、ビールがわりにがぶがぶと飲む(パキスタンのおじさん達もそうだった)。ジュースをビール代わりと言っては見たものの、次第に禁酒がつらくなった私は、輸入物のヨーロッパ製のノンアルコールビールについに手を伸ばす(日本では日本酒かワイン派であるが、ここでは贅沢行ってられない)。高価であまりうまくない缶ビールを毎日4本も買い込むのを、さもおかしそうに店員達が笑う。パン類は、厚めのピザ生地のようなものから、クレープ状のものまで、いろいろあり、土窯の焼きたてはおいしい。ホテルでは、分厚いパンに、はちみつやバター、ジャムをたっぷりつけて食べた。カスピ海周辺は、はちみつの産地でもあって、かおりたかく濃厚で、特別おいしかった。もちろん、カスピ海ヨーグルトは絶品。日本で紹介されているような、とろとろねばねばではなくって、しっかりと硬く、酸味が強く飽きの来ない味だった。
お菓子では、紅白のソフトクリームにジェラート、シュークリーム、中華まんじゅうのようなもの、岩おこしのようなものまである。「岩おこし」は、ゴマやクルミなどを香辛料とともにはちみつで練り固めたもので、味もまさしく岩おこし。こっちが本場で、日本にはシルクロードで伝わったのかも。アイスは、トルコに似てとろりと粘っている。ここでも、髭の濃い「おっさん」が山盛りのアイスパフェをほうばるシーンが、よく見られた。アジアのお菓子は現代日本人には甘すぎるものが多いが、イランのデザート類は結構洗練されていて、口に合う。
こうして、8日間の禁酒に堪え、トルコ行きの機内で飲んだビールは、どんな銘柄でも最高の気分!しかし、久しぶりのせいか、たった缶ビール1杯でもやたらとまわってくらくらした。トルコではビールジョッキでぐびぐび。すでに肝臓が復活したようだ。もう、まわらない。今までの分を取り返す気持ちで飲み干す。禁酒国で肝臓を休めるのはいいが、リバウンドが心配であった。

<イランの観光>……中央部乾燥地帯
砂漠のオアシス、エスファハンはかつての都、日本でいう京都のような観光地である。ほとんど雨が降らないようで、屋根が全くの平ら。上から見下ろすと、ドームのあるところだけがぽこぽこと土盛りのようになっている。中庭が回廊のようになり、各部屋のあかりとりになっている。古代都市、イタリアのポンペイやトルコのエフィソスも、これと似たつくりで、幾何学模様の池や木々の植わった中庭があったが、イランを歩くとあの古代都市が現代によみがえったようだ。空のブルーに映えるように、きれいな青色のモスクや宮殿が続く。広場も建物も視覚効果が計算され尽くされていて、洗練されていて美しい。イランの人は図形や色彩のセンスが素晴らしいが、こんな環境にいれば当然だと思ってしまう。有名なエマーム広場のモスクのドームは、見上げると満天の星空のようで、いつまで眺めても見飽きない。しかし、文化遺産の保護がきがかりだった。宮殿の壁画はらくがきだらけ、削られていたり穴が空いていたり。このままでは貴重な遺産が失われてしまう。観光名所の一つ、ザーヤンデ川に美しい石の橋がかかっているが、その川の水はごみで恐ろしく汚い。しかし、観光に力を入れているイスファハンでは、しょっちゅう道路や川を清掃し、公園の芝生や街路樹に水を撒いたり、手入れを人があり、日本よりも景観に人手と手間をかけていることは間違いない。
建物が素晴らしいといえば、不思議な建物にも遭遇した。イスファハンの郊外で、「メナーレ・ジョンバーン」という、ゆれる塔だ。左右対称の塔の一方に登って人が揺らすと、反対側の塔が共振を起こし、ゆれるのだ。10時から実演というので、3階建てほどのドームの屋上の小さな塔のすぐそばまで行って見た。ドームと塔が数センチ離れるほど激しく揺らしている。反対側に鈴がついていて、しばらく揺らしていると共鳴するかのように鈴が鳴り始める。どんな構造になっているのか。それを思い付いた16世紀のイランの建築士に脱帽だ。
イランの南部に行けば、ペルセポリスなど、紀元前の遺跡があるのだろうか、今回見た一番古い遺跡は、37世紀頃に建てられた、イスファハン郊外にあるゾロアスター教の神殿あとだった。100mに満たない小高い丘の上に、土のレンガでつくられている。すでに屋根もなく、丸い壁と窓が残るばかりだ。360度の眺めが素晴らしく、赤土の山のふもとに川を挟んで一面の緑が広がり、川のほとりに街がある。ごみが目立ったザーヤンデ川であったが、ここらか見ると水の流れの絶えない美しい恵みの川である。確かに、ここの緑は勝手にはえたのではなく、川と人が育てている。イスファハンはオアシスだという実感が湧く。もう、帰ろうかというときに、シンドバットのようにターバン風にショールを頭に巻き付けた、西洋人の女性4人グループと出会う。あれは使える、今度はショールを買ってやろうと誓う。

0 件のコメント:

コメントを投稿