2011年5月29日日曜日

2008年携帯電話の長所短所

つい最近まで大阪の家族も、有限会社の誰もが、携帯電話を持たなかった。それが昨年末には、気がつけば全員一人一台持っている。携帯がなくても生きていけると豪語しているうちに、あれよというまに公衆電話がつぎつぎ消え、なんだか不便な世の中になってしまっていた。外で友人や家族と待ち合わせをするのに、しかたなく一人一台必要になってしまったのだ。かつては部屋に固定電話をひかずに、下宿の公衆電話だけで過ごす若者も珍しくなかったが、今では小学校の低学年の子どもまでが、固定電話より高いケータイを所持している。10円の赤電話、ダイヤルの黒電話。自分の子ども時代が懐かしい。
持ってみて思うのは、必ず電話会社の儲かるようにできてて、子どもが踊らされているなあということだった。別に携帯会社に限らず、テレビや雑誌で子どもの購買心をあおる企業はたくさんいる。かっこいい憧れの人まねをしようと、とても子どものお小遣いではその後の管理や維持できないようなヘアースタイル、パーマとか茶髪に手を出してしまう。雑誌によっては、とても“かたぎの娘さん”とは思えないような、派手で品のない“夜の世界”の化粧や服装をはやりとしてとりあげる(外国人からすると、胸の大きく開いた下着透け見えミニスカートで、しかも街頭にて化粧を直す女子高生は、どう見ても娼婦だ)。生まれて初めて髪をちょっと染めてみた子どもはびっくり仰天、日ごとに日光で色が落ちていって、学校に行くのに、ますます黒く染めなければならなくなる。軽い気持ちで脱色してしまって後悔しているところに、教師には不良ぶってやったかのように叱られて、踏んだり蹴ったりだ(子どもばかり責めないで、未熟な子どもをあおっている大人に責任はないのだろうか)。
服装や髪型はまだいい。安い店や他の手段も選ぶことができる。携帯電話の場合は、少数の会社のいうがまま払わねばならないが、料金設定の分かりにくい機能が多すぎる。子どもは無料サイトに入ったつもりが、あとで高額の請求が来て保護者が驚く。あるいは信頼できるサイトばかりでなく、無垢な子どもを狙った悪質なサイトもある。子どもには様々な危険が常に付きまとうが、バーチャルな世界は警察も手が廻りきらず、しかも保護者や教師は子どものトラブル気付きにくい。実際に携帯電話を手にしてみて、そのことを実感してしまうのであった(10月にお遍路行ってたとき、携帯電話の料金がいつもの10倍以上で仰天しました。30秒につき20円恐るべし!)。
かといって、いきなり子どもから取り上げるのは、良くないと思う。こんな例を聞いたことがある。ある日電車の中で聞こえた会話なのだが、夜中の長電話か大声の会話かで近所から苦情があり、怒った親が携帯をいきなり取り上げたところ、苦にして衝動的に電車に飛び込んでしまった生徒がいるのだという。特急だったため即死であった。親は取り上げたことを悔やみ、近所の人も大勢が嘆き悲しんだという。この例のように今の子どもにとって、電話はただの電話でなく、大人でいうところの「酒」兼「タバコ」兼「自家用車(仕事や買い物になくてはならぬ生活の足)」に相当するものか。携帯なくして会話(コミュニケーション)ならず。友人との遊びも、学校の宿題も習い事も家族との接点も何もかもが、できなくなってしまう。大人から見れば何をそんなに大げさかと思うかもしれないが、それまであった空気がなくなったように息苦しく、宇宙でただ一人ぼっちで取り残されたかのようにさびしく感じてしまうようだ。
我々大人と違って、平成生まれの子どもは、携帯のないこれまでの頃の生活を知らないのだ。ニコチン中毒のヘビースモーカーと一緒の依存症状態、“ケータイ依存症”なのだ。まずは徐々に携帯無しの時間を増やしてやり、携帯に頼らない生活の仕方に慣れなければならない。新聞の投書で、20代の若者だったが、海外旅行で初めて携帯のない生活を送り、初めは不安だったが、やがてメール等にわずらわされない、その快適さに気づいたという内容のものだった。いつも携帯づけの若者が、「携帯のないことは快適」という体験をときどき味わえたらいいのにと思う。携帯依存は、あおっている大人社会の責任で、彼らが決して心が弱いからではない。
それでも最近の中高生は派手でちゃらちゃら、良く分からないと思う方もいるかもしれない。そんな子どもたちが、高価な携帯をおもちゃにすることに、嫌悪感を抱く方もいることだろう。しかし、若者のためにここでたまには弁護しておきます。最近の高校生を見ていると、意外なときの真面目さに困惑することがある。自分からは進んでやらなかったとしても、やれと命じられた作業をもくもくとこなしたりする。遅刻多々、授業中に私語多くして、この子ほんまにちゃんと社会人やれるかなあと心配な生徒が、アルバイト先ではひとこともしゃべらず、真剣に作業していたりもする。状況のつかいわけがうまく、器用だ。昔の若者のほうが、子どもっぽく悪ぶって、わざと手を抜いていたようなことでも、今の子どもたちは、お行儀良く大人びてさめている。困難な時代に、こういう性格って結構頼もしいなあなんて思ってみたりする。今の子は打たれ弱く、へこみやすいというけれど、社会の急激な変化にも若者らしく器用に案外対応してくれるんじゃないか。彼らが世の中の中心になっているとき、周りのくうきをよみながらもくもくと働き、携帯のさまざまな問題もうまく解決してくれて、日本を引っ張るいい社会人をやってくれている気がする。
まあ、携帯の悪口ばかり書いてきたが、緊急時にはありがたいアイテムだ。山の中まで仕事を持ち込むのはいやだけど、もしも山ではぐれたときには心強いではないか。登山や旅行中は、本当に大活躍してくれている。

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