2011年5月29日日曜日

2008年ミステリーツアー日本

入会したときはミステリーツアーのようであった沢登り。紀州の山のことは何も分からず、行く山行すべてがミステリー(リーダーさん、不心得なメンバーですみません)!全メンバーがどんな道を何時間ぐらい歩くか、知っているべきというけれど、沢登りの場合、水量やメンバーによってルートを変え直登したり時間がかかったり、不確かな要素が多いので、やはり、わたしにとって沢は魅力的にミステリアスなのである。
ミステリアスといえばこの我らが暮らす「日本国」の進む道もまた、ミステリーツアーのようだなあと最近感じている。いや、ツアーなら案内する人は下調べをしてあって、参加者だけがどきどきわくわくするが、このツアーはどうも、案内人も行き当たりばったりでわくわくどきどきしている気がする。われらが案内人は、ツアー「アメリカ」の後をついて歩いているだけだという人もいるが、その場合先行くツアー「アメリカ」を見失ったらひとり遭難してしまうのだろうか。あるいは「アメリカ」が目の前で遭難したときに、日本の技術体力を駆使し、救助してあげるつもりなのだろうか。戦後の日本が「歩き始め」たころ、日本は世界最高峰を目指す登山道を歩いていた気がする。荷揚げする人、アタックする人、それぞれの与えられた分業に励み全員が目標を意識して歩いていた。やがて欧米に追いつき追い越せ、山頂まで近道しようとするアメリカの尻にくっつくうちに、気がつけば原生林の大樹海の中をこのように迷走ししまった。もはや、先頭をあるくエリート集団をフォローしてきた民衆は、間延びした隊列から脱落し始めているが、樹海が邪魔をして、お互いによく見えなくなってしまっている。
真面目なおとなしいいい子たちが、自衛隊に行き始めている。近年の就職難、進学難の結果だ。貧しい人が大学に行くためにと入隊し、イラク戦争へ借り出されたというアメリカ。勉強のために軍隊に入らなくちゃいけないような世の中に、日本がなって欲しくない。
最近、子どもを抱えるお母さん方と話す機会が最近多い。子どもにいい人生を与えるために、就職できるためになにができるか?昔は、真面目な子どもなら、どんな学歴であっても仕事が与えられ、結婚ができた。今は、学歴に関係なく仕事がなく結婚も難しい。正確な情報がない。何をよりどころにすればよいかわからない漠然とした育児不安。いや、情報はありすぎるのかもしれない。一芸に秀でているほうがいい、英語ができるほうがいい、塾に行って私立に行くほうがいい、様々な憶測がさらに不安をかき立てる。習い事をさせなければ。塾に行かさなくちゃ。子どもも親もまわりから強いプレッシャーを受けているように見える。「ゆとり教育」から、「生きる力(学力、体力、愛国心)」、、、あまりにも刻々と価値観が変わって行き、偏差値教育をどっぷり受けてきた親世代は、新しい教育方針についていけないでいる。そう、不確かな情報を鵜呑みにするような「無学の親」は減った。育児で長らく世間から隔絶されていたマジメな主婦ほど、世間の変わりように「浦島太郎」のような気分を味わっている。
いや、昔だって若い親は子どもにかまう間が無く、ほうっておいても子どもは育った。今はかまいすぎなのではないか、という人もいることだろう。昔は迷ってもお年寄りに聞けば子育てのしかたから人生についてまで、教えていただくことができた。進路のことは、学校の先生に聞けばまず間違いが無かった。今でも昔でも、若者の中には、勉強をあきらめて家族のために働きたいと思うけなげな子もいるし、早く自立して、10代で結婚して子どもを持ちたいという子もいるはず。それがかなわないのは、子どもたちの努力が足りないせいでも、根性がないわけでもない。今、お年寄りの言うとおり、家計が苦しいなら中卒で働けばいいといわれて、実際就職できる子どもはどれだけいるだろう。
日本にはインドのカーストのような世襲?ができつつある。塾や大学に行くお金のない子どもたちは、もうすでに人生の指定席がきまっているようなもの。人権を無視した過酷な勤務条件と低賃金にあえぐ。奨学金を借りて進学しても返せない人が増えているそうだ。一方のお金持ちの子どもは、私立の小中高に行き、一流の国立大学に行き、企業の内定を次々もらい、バブルのときのように企業から接待を受けていると聞く(学校の先生に進路について聞かなくても、親が高学歴で、何をすべきか担任よりも知っている。あるいは、塾や予備校の方が、最新の入試について詳しいと言う現状がある)。公務員の子どもが公務員に、教師の子どもが教師になるのは、コネや賄賂ばかりではない。マジメに受験している人の方が多い。それでも2世が多いのは、親の経済力の差もあるのではないだろうか。

このお盆に、昨年事故で亡くなった若者のお参りに行ってきた。私が滝川で柔道を始めたとき、まだ中学一年生で、いっしょに昇段試合に行って黒帯をとった仲間だ。彼は体格も良く力があるというのに心優しく、なかなか勝負で思いっきり投げることができずにそのころスランプになっていた。同じ代の友人がつぎつぎ黒帯をとる中、めげずに柔道をつづけた。語る言葉の端々から、柔道を愛する気持ちがにじみ出ていた。相手を思いやる柔道精神に満ちあふれた子どもだった。私もご家族と一緒に懸命に彼が勝つよう応援したものだった。やがてM高の柔道部で活躍するまでになり、縁あって1年間、授業を受け持つことにもなった。もちろん、授業態度も真面目で、きちんとした会社に就職し、さあこれからという19歳の夏だった。バイクに乗っていて、脇から飛び出した車にはねられてしまった。お葬式には、たくさんの同窓生、柔道の先輩後輩がおとずれ、彼が皆に好かれ愛されていたことを物語っていた。体格の優れた屈強な柔道の若者の群れは、まるで兵士の集まりのようであった。その葬儀で私がふと思ったのは、この年代の大勢の若者が次々命を落すのが「戦争」なのだろうと。20歳前後のあふれる輝かしい未来。ひとつの命の重いこと。なんと、もったいなく、いたましいことだろう。テレビや本で、戦争で若者が死んでいく話を知っても、ぴんと来なかった重みが、目の前の体格の立派な若者の群れを見て、心にずしんと感じてしまった。戦争でなくなった命は、こんなに一人ずつ悲しんでもらえるのだろうか。彼らの未来を大切にしてやらねばと思った。彼らには亡くなった若者の分も、しっかり生きて欲しいから。

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