あの、“みなもっち”が倒れたと聞いたのは、そう、2006年8月の中旬だった。第一報では、「生徒の引率で甲子園にいった帰りに倒れたそうだ。今、入院しているが、意識が戻ったかどうかまだわからない」という驚く話だった。その一週間前に、紀峰のミーティングで出会い、旅行の話など楽しく会話したばかりだったので、とても信じられなかった。義兄ら山の会の人々が見舞いに行ったときは、入院して1週間もたたないころで、意識がまだはっきりしない状態だった。お母さんがずうっと付き添っていらした。そして、倒れたいきさつから、救急車でJR阪和線六十谷駅から運ばれる様子、出血が止まったので手術をしないで済んだ話を聞いてきた。
個性強い菰池の場合、敵も味方も両方多いが、やさしい“みなもっち”は誰からも愛されている。復活すべきは、まず“みなもっち”のほうだ、と私はいたたまれなくなって、病院へかけつけた。入院後10日経っていた。和歌山城近くの病院の、ナースステーションの隣の部屋に行くと、昏々と眠るみなもっちがいた。なんともいえない響きのいびきをかきつづけていた。おかあさんが「菰池 環さんが来たよ」とみなもっちの耳元に語りかけたが返事がない。そうだ、日記の名前、「しもたまき」ならわかるかも!彼女は、この「紀峰の仲間」の編集歴が長く、2002年の柔道日記の頃からお世話になっている。「しもたまきですよ~みなもっち、聴こえる?聴こえたら手を動かして!」。その前の日に見舞った人の話によると、聞こえるときは手を振ってくれるらしい。残念ながら、私の見舞った日はたまたま眠っている時間のほうが長い日だったらしい。眠りながら無意識に右手右足が動くばかり。ようやく、帰り際にかすかに手をもちあげて振ってくれたときは、うれしくて涙が出て来そうになった。しんどいのにがんばって振ってくれたんだね。無理言ってごめんね、みなもっち。
8月末にもう一度お見舞いに行ったときは、首を自力で動かせないものの、もう意識が完全に回復していた。関東にお住まいのお姉さんが来ていらした。9月初めには、右半身がかなり動かせるようになっていて、起き上がって挨拶してくれた。会うたびに良くなる人のお見舞いは、行く方も心が軽い。目を見張る回復は、本当にうれしい!9月30日に大山に行く前に病院に寄ると病室が明るくにぎやかだった。手ぶり交じりだが、話しをしてくれた。10月中旬に行ったとき、車椅子に座りながら、少し固めのおかゆを食べるみなもっちがいた。いっしょに山に登れるかも!私は希望がわいた。みなもっちはきっと復活する。むやみにみなもっちを励ましたり、頑張れとかいうのは良くないことだとわかってはいるけど、私はおせっかいながら、みなもっちの復活を信じて、これからも応援していきたいと思う(みなもっちは元気に復活されていると聞いている)。
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