- 「幼保一体化」について一言
子ども、保護者、教師の立場から考える。
朝からのべつなく保育ではなく、途中で9時から12時は幼稚園、3時以降は英語塾、サッカー塾などサークル活動のあるメリハリある保育が望ましい。
スペース右隅は教室、左隅は昼寝、など四隅コーナーを利用して時間と空間を区切るとよい。余裕があれば短時間でもこもれる個室、オモチャの家、お菓子の家、リラックスして気分を落ち着けて教室等に戻れる場所が必要。そこで、幼少期から自己の感情を自分でコントロールし、怒りや不安、集団行動に不適切な感情の処理を自分で行えるよう仕向けていく。
小学校にとけ込みやすい、塾の費用が浮く、親の送迎が楽、勉強やスポーツに秀でた子どもを見いだし、早期教育可能、年長の子どもが年少の子どもを面倒みるリーダーシップが育つ(将来親になった時の練習、就職してバイトを使う正社員になった時の訓練)などの良さがある。
プレスクールで生活科で学ぶことは終え、一年生からきちんと一年生で学ぶ事を身体で覚え込まねばならない。九九は考えなくても出てこなければならない。そして三年生くらいになれば、男女とも生理や妊娠の仕組みについて簡単に学習して高学年で避妊から感染予防まで、普通の保健、家庭科として、命の教育、道徳教育という位置付けで行うべきである。
また、頭の柔らかい幼児期、児童期に空想動物や空想メカの性能で埋め尽くされる前に、正しい生物名、本物の機械の仕組みに興味を持たせ、やる気のある子どもに出来るだけ覚えさせる。それには、教科書に載っていないことは成績につながらないと思い込んでいる、教師や保護者の考え方を変えていく必要がある。夏休みの宿題単発の打ち上げ花火にならないような継続的支援が児童期に必要である。今の教育では、博士も、伝統産業の職人の親方も、名選手も育たない。個性ある教育、特色ある教育というのはこのような、授業案に載らない部分、一人ひとりに特化した特別支援教育である。
授業案は最低限皆がやるべき事。英才教育と障害児教育は本来紙一重。優秀な高校生、大学生、社会人は三つ子の魂。幼少期から生じる。
女性の側も、結婚ゴール願望が続き、共稼ぎでないと生活が出来ない男女が増えている。
しかし結婚以前に出会って関係を維持する経済力が、非正規雇用の男女に乏しく出来た子どもの養育費は出てこない。
結婚とはなにか、答えは千差万別。結婚を望む理由も諦める理由も千差万別。
- 文学、神話、宗教、政治が未分化であった太古、口伝えで語らてきたものは、男性集団による男性史、女性集団による女性史。
その後文字による歴史編纂、農耕社会の高度化により、四大文明の歴史は男性集団のてにで編纂。西洋的価値観のグローバル化、そのまま、地球史、生物史の編纂へと続いている。
日本はもともと長寿の母系社会として集団文化継承をしつつ、奈良時代以降は中国文化圏にあり、タイ、韓国、台湾、琉球などと並列に漢字による歴史編纂を行って来たはず。
海はその交通手段であり、共有財産です。
強いていうなら、生物、無生物との共存協栄を尊ぶ、インド文化圏の一員であり、西洋的価値観を尊重しつつ、アジアの一員としてリーダーシップをアジア的宇宙観で行わなければならない。
日本史、アジア史、世界史、地球史、生物史は、鳥瞰的に捉えるべきである。白人、男性、大人からみた一元的な世界観から脱却する事が、日本が世界で孤立化、引きこもり化しないために必要である。もっと生物資源、子どもから老人、障害者、社会のマイノリティの視点から検証できないものか。
かつてマイノリティであった高齢者、フリーター、障害者がマジョリティになりつつあるが、それを社会や個人で責任をなすりつけあって、時間ばかり過ぎるのは無意味ではないか。
個々の個人が、各々政府が、全体の利益を考えるリーダーシップを、困難なときこそ発揮して欲しい。
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