- 去年は中毒性の豚インフルから新型インフルエンザに突然変異しました。
インフルは、渡り鳥から人と共通点の多い豚に移ると人に感染しやすい強毒性の新型インフルエンザに突然変異する可能性がある。
昨年はたいしたことが無かったからとたかをくくらず、
地道な警戒が必要。オオカミ少年になることを恐れるな。
死んだ鳥にはむやみに触らない。大量死は隠さない。
日本の誠実な態度が、世界の大流行を防げる。
日本が隠すと、社会的弱者や、発展途上国の死者が増えます。
予防に金をかけすぎるのは保険に金をかけすぎるのと等しいが、
それでも無保険で大病や大災害に見舞われることのリスクと同等であると考えると、
「予防」という名の保険をはっておく方が社会コストが少なくて済む。
特に、人材、子ども達を失うと少子化日本は痛手が大きい。
災害は人災である。特にウィルス性の疾患は、人口過密、グローバル化によってもたらされた。人類の移動が緩慢な昔ならば、免疫がつきながら蔓延する余裕もあった。町を村を封鎖さえすれば、いくらでもウィルス進入を防ぐことができた。今はそれができない。人間の叡智でできた都市は同じく叡智で守らねばならない。
地震も水害も、狩猟採集の太古ならば、ごく局地的な災害であり、復旧も速やか。地震により火災が広まることも、救出が遅れることも、水や食料が尽きるようなことも太古では考えにくい。人口過密の都市であるからこそ、ビルの倒壊、エレベータ閉じ込め、地下街の水没が起こる。
そして、公民館や体育館での避難生活、仮設住宅等が必要となる。
親戚や近所づきあいも希薄であるため、個人や個々の家が孤立する。
その人口に見合った井戸や畑がないために、周辺地域から輸送しなくてはならないが、そのための鉄道や道路も破壊される。
その点、田舎へ行くほど安全である。田舎のよさ、小さなブロックで全てが解決するコンパクトさを、都市ももたねばならない。現代の都市は、進化しすぎたホ乳類のようである。抜けた歯はさめのように替え歯が無く、切れた手足はミミズのようにそのまま動き続けることはない。ミミズのように(あるいは電車のように)、小さなユニットが集まった生き物は、損傷に強い。都市も擬似的な生命体ととらえると、市町村ごとの独立性、県毎の独自性があるほうが災害時、緊急時に強い。平素は一つの国家として機能しながら、緊急時には迅速な対応がここの市町村で取れるような体制があれば、ミミズやムカデのような損傷に強い都市になれるはず。
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