2010年12月5日日曜日

モバゲーで知り合った東京のタクシー運転手への返信……指揮者について

"アバター"

    • スコアを見ながら聞くのは、脚本を読みながら芝居を鑑賞するのと同じく、小説を読み解くような深みをもたらしますね。
      初めて音を記録しようとした人は、テープやディスクのない時代、どのような思いで記譜したのか。楽譜への思い入れは計り知れないことでしょう。楽譜には表せない言葉で言い表せないものがあるからこそ音楽は存在する。しかし、作曲家は表しつくせない楽譜になんとか思いをこめようと工夫して記す。「楽譜に忠実に演奏せよ」というのは、一流の方だけに重みがありますね。どんな一流のプレーヤーも(スポーツや学術もしかり)、いかに基本をふまえ忠実かが問われます。
      第九はゆるやかなアダージョが気持ちいいですが、あの静けさがあるからこそクライマックスが際立つのでしょうか。第四楽章に一から三楽章のモチーフが現れては消え、バリトンソロに受け継がれる、また、平和への強いメッセージ性、古くて新しい曲です。子どものころは、耳慣れた特に印象深い曲でもなかったですが、今のポップスのリズム、今当たり前になっている表現であるから奇抜に聞こえない。
    • オペラやバレエを振れる指揮者が日本に増えてきたことは、嬉しいですね。
      ベートーベンの第九やマーラー5番のアダージェットのけだるい感覚がここちいいです。小さな音に研ぎ澄まされた力がこもっている、緩やかなテンポに踊るような躍動感が潜んでいる。同じ曲を何度聴いても、新しい指揮者やオケで聞くたびに別の曲を聴いているような新鮮味があります。
      本当に音質を追求するならば、同じ製作者の楽器、同じ時代と地域の楽器で統一するのが理想でしょうが、経歴や経験の違う演奏者が、楽器を持ち寄り、個性をぶつけ合いながら一つの音楽を作っていく、それは指揮者のリーダーシップ、ビジョンにかかっています。全員が同じビジョンを持つことで、せめぎ合う個性や解釈が、共鳴し合い、干渉し合う。指揮者はカリスマ教師であり、ソリストの塊であるオケをおだてるマネージャーであり、演奏会の成功まで計算する経営者ですね。



    運転手の敬愛する、朝比奈 隆についてのメールの返信である。この運転手は芸術を愛し、朝比奈隆と交流し、直接指導してもらったという経歴を持つそうだ。どういうきっかけで指揮者と出会い、どういうきっかけでタクシー業界に来たのかは不明である。むこうもこちらも、ただ、芸術を愛するというだけで、演奏歴も鑑賞歴も互いに不明であるが、相手の言いたいことが通訳無しで伝わってくるものがある。
    同じ職業ならば、研究者同士、大工同士、言葉が通じなくても相手の言わんとすることがツウカーで通じることがある。同じ作品を聞く人は、日本人であろうが外国人であろうが、言葉以上のものを共有する。同じスポーツを愛するものは、一緒にプレーするだけで、共鳴しあうものがある。サッカーボール一つで、インドの青年、ドイツの青年と言葉なしで交流することができる。
    一神教は一神教同士、多神教は多神教同士、相通じるものがあるはずだが、世界から紛争が絶えないのは、本当の利害関係を宗教対立でごまかしているからという話を聞いたことがある。
    この運転手が言うには、朝比奈はベートーベンの第九を「9曲こそ西洋クラシック音楽のバイブルと口癖」し、齢80を過ぎた頃、「最近やっと少しベートーベンの交響曲が見えてきたような気がする。」と述べていたという。シラーの求めた平和メッセージとそれを音で表したベートーベン。言葉以上で通じるものを世界で共有できないものか。

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