2011年5月16日月曜日

酒乱たまらんイラン旅行(2003年6月)その3

酒乱たまらんイラン旅行(2003年6月)その3

<イランの生活水準>
消費大国の日米のようなことはないが、少なくともアンティークを尊ぶイギリスやドイツ並みの、物があふれた生活といえる。円高為替レートのため、給料は日本より安いかもしれないが、産油国の安い交通手段、よく整備された道路網。食糧も豊富で暮らしやすい。洋服店に並ぶ服も、ジーンズあり高級スーツあり、カジュアルもフォーマルも日本と大差ない。電器店にいくと、ジューサーやミキサーや、欧米によくある大きなマシンが売られている。革命までは完全に西洋化していたのだから、この水準は当然といえるだろう。貧富の差が少なく、どの家にも高価なペルシャ絨毯が敷かれているのだから、安アパートの百円ショップ住まいの日本とどっちが生活水準が高いか、単純に比較するのは難しい。
携帯電話がここ数年、韓国台湾香港でも急スピードで普及しているが、イランも同じ。ビジネスマンだけでなく、ごくごく庶民が当たり前に使っている。夕涼みの場所取りか、おじさんがひとり、シートの上で友人とたわいもない会話を携帯で交わして、時間をつぶしていたのが、印象に残っている。

<イラン人の気質と歴史>
男も女も大声で話し、がはは!と豪快に笑うイラン人。関西や、韓国の釜山や済州の市場にいる感じのにぎやかさだ。特に男性の場合は、イタリア人かと思うほど、ラテンの乗りの陽気さがある。自己主張の通し方などは、有田のミカン農家に通じるものもあり、どっちにしろ、よその国に来た感じがしない。
イランでは自己主張は大切。でも、引き際も見事である。くどくどとねちっこくない。観光客に群がってくる客ずれした客引きも、こっちが妥協しないとみるや、あっさりと引き下がる。かけひき上手である。エマーム広場のカーペット売りは、名刺を配って日本びいきを強調したけれど、あんまり店には引き止めなかった。インドやトルコの方がよっぽどしつこかった。しかし、広場の出口で待つ別の男性に、「いまからこれこれの人相の日本人が向う」と携帯電話で知らせることを忘れない。別の男性が、さも偶然通りかかったように装って、近寄ってきて、親しくなったところで、カーペットの話を切り出すのである。さらにこちらが断固として断ると、相手は脈無しとみるや、これまたささっと去ってゆく。見事なお手並みだった。かつてシルクロードで、すれていないヨーロッパ商人は手玉に取られたことは間違いない。きっと、あの手この手でありったけぼられたことだろう。ヨーロッパ人のイスラム商人に対する誤解は、こんなところから生じたのかもしれない。
イランの人々を見てみると、島国の温和なやり方ではとても生き残れなかったであろう、苦難の歴史がうかがえる。コムギ発祥地のメソポタミア文明の近く、カスピ海の南の肥沃な土地に、インドヨーロッパ系のアーリヤー(イラーン)人が南下してできたのが、中央集権国家の「アケメネス朝ペルシャ」(B.C.550年)。地中海文明にどっぷり染まった後、アレキサンダーに征服されてしまう。そこに遊牧民族が南下して、「パルティア」の建国(日本の弥生時代)、続いてイランの民族色の濃い「ササーン朝ペルシャ」が建国(A.D.226年)。7世紀にアラブ人に征服されて、イスラム化する。その後、トルコ系、モンゴル系の侵略を許し、19世紀にはイギリスとロシアの半植民地と化す。侵略と征服の繰り返しだ。
世界にもまれているイランの人々は、自己主張はっきり、誇り高く、卑屈にならない。20世紀半ば、ときのイランの王様が目指したのは急激な「近代化=西洋化」で、貧富の差が拡大。1979年にイラン革命が起こり反米政策がとられる。8年間のイランイラク戦争の後、1997年以降は穏健な政策。私の旅行中では、アメリカ文化の象徴であるミッキーマウスもコカコーラもあふれていた。しかし、7/3の、アメリカがイランの民間機を撃墜した事件の日には、海に浮かぶ死体のシーンが繰り返し放映され、「残酷なアメリカの行為」が強調されていた。アメリカ文化に少し近寄ったからと言って、アメリカ批判を忘れたわけではないのだ。時代がいかに変ろうとも、たくましく生き残ってきたイランの人々は、言葉は悪いが、関西のおっさんおばはん的に「ずうずうしく」「あつかましい」のである。というわけで、イランでは関西の電車の乗り降りといっしょで、行列というものが守られたためしがない。老いも若きも、割り込みまくる。買物も、値切らな損、ぼられたもんがあほう、というわけだ。
イランも建前と本音がある。規則を守るのは風紀警察が目を光らせているからで、裏では何でもありな所である。国を挙げてイスラムを実践しているわりに、旅行中、日に何度かのお祈りをしてる人をたった1人しかみかけなかった。隣国パキスタンの方がよっぽど敬虔だった。ある外国人ムスリムが、「お祈り場所を教えてください」と若いイラン女性に聞いたところ、彼女が「ええっ!うっそー!おいのりぃ?」とでもいう風に、大爆笑していた。海水浴場も男女別々が建前だが、広い海岸線。てきとーに人気のないところでベールをとって男女で海水浴っていうのもOK。服装の規則も、外見だけなので、チャドルの中にミニスカートをはこうが、スカーフの中が茶パツでパーマだろうが、なんでもあり。これが、何度侵略されてもしぶとく這い上がってきたイランのパワーなのであろう。

<しもたまから見たイランの本音>
と、ここまでたんたんとイランを書いてみたものの、私の体験したイランはそんななまやさしいものではなかった。観光に専念できるまで、まる3日はかかったのだ。
海外で手術を受け、死亡して有名になったイランの双子の姉妹がいたが、頭部の接合した彼女らがいかに周りに嘲笑されたのか、なんとなく想像がつく。ラテンの乗りの明るいイラン男性でも、イランより生活レベルの低い外国人に対する優越感がみかけられる。アジア人なら、中国人を見下しているし、近隣では、アフガニスタン難民を見下している。そんなイランの人々をみていると、鏡に映った日本を見ている気がする。日本でも、日本に来たイランの人をこんなふうに見下してはいないだろうか。イランの女性が私を遠慮なくじろじろ見て笑うように、日本に来たイスラム教徒の女性のかぶり物を、じろじろ見て笑っているのではないか。イランの人に負けず、近隣のアジアの人に、優越感を抱いていないだろうか。
そんな風に比較してみると、日本の服装も、他の国や他の時代から見ればキレテレツかも知れないとも思う。今の日本ではあたりまえの、ミニスカート(立ったり座ったり、立ち居振舞いに気を使う)や、ブラジャー(かつてのコルセットのように体を締め付ける下着)も、女性の自由な行動を束縛するという意味では、チャドルやスカーフと大差がない。気にならないのは小さい頃から見慣れているだけである。日本も、流行という名の「風紀警察」に服装が左右されているのではないか。
男女平等をうたった日本でさえ、社会に出るとなにかしらあるものであるが、イランでは間違いなく、女性の能力の何割かが閉じ込められていると思ってよい。しかし、イラン女性に外からとやかく言う前に、日本こそ自分らしい服装や生き方を、自由に選んでいくべきではないか。

<あとがき>
こんなわけで、「巨大テーマパーク」イランは、現在日本を考えされられる旅でもあった。イランは古代ペルシャ帝国が生きづく国でもあり、もちろん現代文明が日本と同じく平行に流れる国でもある。イラン革命のために、西洋と文化の違いはまだ大きく、女性社会と男性社会に差はあるが、このまま穏健政策が進めば、どちらもせばまることであろう。それがはたして、イランにとってよかったのかどうかは私にはすぐに答えられない。まだ、イラン南部もみていないし、トルコよりの山岳地帯もみていないので、これがイランのすべててとは言わないし、年々変わりつつあるイランのこと。次にいったらもう、スカーフはいらなくなっているかもしれない。ペルシャ絨毯とその客引きだけは、数百年後もありそうだが、、、イランとは、つかめそうでつかみ所のない、そんな国のようだ。そうこうしているうちに酒が切れてきたので、この辺で筆をおくことにする。
                ほんとうはさほど酒乱ではない  しもたまき

この文章は2003年に和歌山県勤労者山岳連盟、「紀峰山の会」会報に連載されたものの転載です。内容は2003年のものであり、現在のイランではないことをお断りいたします。
                              しもたまき

酒乱たまらんイラン旅行(2003年6月)その2

酒乱たまらんイラン旅行(2003年6月)その2

<イランの観光>……北部カスピ海沿い
イラン北部のギーラーン州にあるマースーレーという集落も、私のおすすめだ。今回は日帰りだったが、再び行けるとしたら、是非とも数日は滞在してみたいところである。にぎやかなテヘランやイスファハンと違って、車の入ってこない、山奥のとても静かな村だ。それもそのはず、町の通りはそれぞれの家の屋根であり、とても車が通れる状態ではないのである。山の斜面に向かって、ひな壇のように段々に家があり、すぐ下の家の屋根(木の板の上に土を乗せただけ)を通って人々が出はいりする。下から見上げると、玄関と家の窓ばかりが見え、上から見下ろすと、土の道ばかりが見える。斜面の山側に家、谷側には道と決まっている。道を挟んだ向い同士に、建物があることはめったにない。さっきまで1階にいるかと思えば別の家の3階の屋根にいたりして、「視覚の錯覚の絵」の様な立体迷路で面白い。古い家は100年を超えるというが、雨は日本並みに降り、しかも屋根の上を人を通る宿命で、ある日突然、屋根が陥没して家の寿命は尽きる。陥没した家々のあとには、家具などそのまま残っていて、地震の被災地のようで、住んでいた人のことを思うと、かっこいい街とばかりは言っていられない。近頃では、伝統的な木の家をやめ、コンクリートで補強した家になりつつある。今のところは、人力で運べるものだけが街に入り、あとは自給自足のようだが、そのうち、車が入れるようになったとしたら、マースーレーの秘境らしさは、失われていくのかもしれない。いろいろ変らないうちに、また来て見ておきたい。この観光地に、日本人(JIKA)が来ていると聞く。この街にいまさら何を付け加えようというのだろうか。まさか、すべて瓦屋根にでもしようというのだろうか!?もしもそうなったら、反対の山から見たら、まるで日本のお城のような外観になること請け合いだ!(冗談です。道がなくなり、生活できなくなります)

カスピ海沿いの海岸の風景は、平野が続き、黒い穏やかな海があり、「夏の日本海沿い」といった雰囲気だ。バンダレ・アンザリーという港は、ロシア人が開港したといわれ、街の建物もなんとなくロシア風。歩く人々も、イスファハンよりも背が高く、ロシア風な人が多い。といっても、私はまだロシアにはまだ行ったことがないので、写真やテレビのイメージで言っているだけであるが、、、スカーフもカラフルで、今まで歩いた都市の中で。一番自由な感じがした。ここでは、日本で働いたことのあるイラン人男性2人と出会った。1人はスカーフ屋さんで、私がゾロアスター神殿で出会った西洋女性のターバンを思い出し、ターバンに巻けるような青いコートにあう青いショールが欲しいと、日本語で尋ねると、「長いショールは着こなしが難しいですから、短いスカーフが無難ですよ」と流ちょうな日本語で帰ってきた。結局、かっこいいターバン風ショールはあきらめ、青い絹のスカーフを土産に購入した。もう1人は、夏だけ営業のデザート屋。冬は近くで日本そば屋をやっているらしい。日本の職人風に、ねじりはちまきを巻いている。私たちが行った時は、日本のビールのジョッキにもりもりのアイスパフェの写真が飾られ、軒に実際にいくつものジョッキがぶら下がっている。メロンジュースを飲みながら、これが本物のビールだったら、、、とついつい思って、「酒乱」は近くのノンアルコール屋に買いに走ってしまうのであった。
バンダレ・アンザリーでは、男女別々の海水浴場があると聞き、タクシーを使って行って見た。しかし、当日は波が高く、といっても日本の太平洋から見たらささやかなさざなみであったが、遊泳禁止とのことであった。「今年の初泳ぎはカスピ海だぜ!」と意気込んで出かけただけにとってもがっかりである。でもまあ、沙漠の町から来た慣れない人が、いきなり波のあるカスピ海で泳げば、波にもまれて溺れるのかも(男女の遊泳場は互いにみえないようビニールでしきられているが、それが高波でまくれ上がって、お互いをのぞかれると困るというが、本当の理由かもしれない)。
このままテヘランに帰るのは悔しいので、ホテルに戻り、近くのボートツアーに出かける。カスピ海とつながっている、大きな日潟を巡るコースだ。国際的に有名な自然保護区で、一般に観光化されている。料金にいろいろランクがあり、1時間だとかなり野生動物の観察が出来るらしいが、所持金の都合で40分のツアーを頼む。それでも、鳥撃ち小屋のそばのカエルや小魚、野鳥が見られて、イランの自然の豊かさに触れる事が出来てよかった。

<イランのファッション>
男性の服装は日本とあまり変わらない。ネクタイ無しのシャツとズボン。パキスタンと違い、半袖の人もいる。きちっとした服装、きちっとした髪型で、おしゃれを競っている。イスラム圏によくある、伸びたひげも少ない。少年達は、イギリスのええとこの坊ちゃんのような服装をしている子もいる。日本のように、ずるずる引きずったずぼんや、穴の開いた服をファッションと認めていない。
女性の服装は、10年前は、目だけ出した黒ずくめの人をよく見かけたという話を聞いたが、今回は一度も出会わなかった。低学年くらいまでの女の子は、髪も愛らしくヨーロッパ風のドレスを着てかわいい格好をしている。大人が許されていない分、親は子供に贅沢にいろいろ着せて、発散しているのかも。我が子をよりかわいく見せたい気持ちは、日本の親とおんなじなのだろう。少女達は、カラフルなコートとスカーフで身軽。OLは、東欧の女性のような地味なコートだが、簡単なスカーフにサングラスをかけてさっそうと歩いている。結婚した女性、真面目な女学生は、黒いコートに黒いかぶりもので、ほとんど肌を出さないようにしている。年輩の女性は、その上からさらに頭から足先まで、黒い布でぐるぐる巻きにしている。30度以上の夏にしては、かなりの厚着である。
イスファハンでは、より現地に溶け込むために、現地に合う長袖長ズボンを着ていた。それでも、「ジャパン?コリア?チーノ?」「おしん!(NHKのドラマ)」「ナカタ!(サッカー日本代表)」と聞かれる。いくら衣装を現地で調えようが、顔の彫りの深さが違うので、中国や韓国旅行のように、道を聞かれるほど現地に溶け込むわけにはいかないのだった。

<イランの家族>
イスファハンからテヘランまでの移動に、寝台車を利用したが、このとき、6人のコンパートメントに、われわれ2人以外に4人の家族が一緒だった。海軍のエンジニアのお父さん、かぶり物の中に豊かな金髪を隠しているお母さん、女子高生のペガー、妹のパルニアンは8歳で愛くるしい。南部のバンダラバスに勤務していて、テヘランの姉に会いに行くところだという。この一家、なぜか怪我をしている。お父さんは手。お母さんは左腕の骨折。お姉さんは首のむち打ち。聞くと、最近、交通事故にあったばかりという。そういえば、イスファハンでも、かわいい顔の女の子が、時々鼻に添え木を当てていたりしていたが、はやりの美容整形ぐらいに思っていた。本格的な歯列矯正している子も、たまにいたから。今から思えば、あの鼻は交通事故だったのだ。
イランの人々の運転は荒い。一家5人がバイクにぞろぞろまたがってぶっ飛ばすタイよりも、狭い渓谷でチキンレースさながらのすれ違いを見せるパキスタンよりも、もっとすごかった。イランでは、一車線ずつの登りのトンネルの中で、対向車線に大型バスやトラックが来ているにもかかわらず、そいつらに急ブレーキをかけさせておいて、路線バスがのろい自家用車をあたりまえのように追い抜いていく。歩行者の場合、関西のおっちゃんおばちゃん並の、強引な列のわりこみ、無謀な道路横断、なんでもありなのだが、車の運転でもそのまんまの感覚なのだ。交差点は、信号無視で突っ込んだもの勝ち。よくまあ事故がないなあと思っていたら、やっぱり案の定多いらしい。4人家族にであったあと、気をつけて街中を見てみると、フロントガラスが蜘蛛の巣のようにひび割れている車や、腕を吊ったり松葉杖をついている若者が結構目に入るようになった。戦争で死ぬことを思えば、たいしたことがないのであろうが、もう平和が長くなったのだから、命を大事にして欲しい。イランの人々よ。
話しを4人家族に戻そう。父ちゃんが話し始め、しだいにかあちゃんが、娘を突っつきはじめる。「英語の練習のために、仲良くするんですよ!」といいたげだ。娘は、日本の16歳だったらもっと反抗しているだろうに、落ち着きがあって、かあちゃんにおとなしくしたがっている。娘と英語で文通の約束をする。かあちゃんは満足げである。しかし、聖地の巡礼と間違われたのか、私がイスラム教徒ではないとわかるとふんと笑った。失礼な。文通の約束は、まだ守られていない。
イランもアジアだと思ったのが、家の中ではあきらかにかあちゃんのほうが強い。外で交渉するのが夫であっても、決定権はおそらくかあちゃんにあろうかと思われる。女性の権利をいくら剥奪しようとも、そんなハンディをものともしない強さが、イラン女性にはある。若い頃は親に、結婚したら夫に頼ろう!というあまーい日本女性よりも、よっぽど自立している人が多い気がする。今はおとなしげな女子高生ペガーも、数年もすれば、かあちゃん顔負けのたくましいイラン女性に変身することだろう。

酒乱たまらんイラン旅行(2003年6月)その1

酒乱たまらんイラン旅行(2003年6月)その1

<まえがき>
タイムマシンの旅、別世界への夢の旅をかなえてくれる国が、まだまだ世界にはある。イラン(イラクではない)。 Tシャツやジーンズ、コーラやハンバーガー、どこの国へ行っても、都会の風景はあまり変らなくなってしまった。だが、イランは違う。男性のネクタイは、西洋的なので禁止。女性はスカーフ着用義務。カードもトラベラーズチェックもほとんど通用しない。酒は一滴も売っていないし、エロ本どころか、肌をさらした女性の登場する本すらない。ソ連も中国も自由化政策で西洋化してしまった今となっては、イランはとても貴重なところだ。
行く前の私の知るイランは、3つのイメージ。まず、黒いチャドルで覆われた女性―ペンギンのような格好―に象徴されるように、イスラムの厳格な国というイメージ。しかも規則は、外国人にも異教徒にも容赦しないのだ。もう一つのイメージは、イランに行ったことのある人々の「イランはよかった!」という証言。見ず知らずの人が親切に家に招いてくれた話。美しいモスクや遺跡。制度は厳格な国なのに人々や建物は親しみがありそうだ。最後のイメージは、世界史に出てくる「ペルシャ」国のイメージ。シルクロードの東西の中継点であったために、アレキサンダーなど外国にしょっちゅう征服された。ペルシャグラス、ペルシャ絨毯の国。さてさて、私の見るイランは、果たしてどんな国なのか、行ってみてのお楽しみである。そう、シュミレーションゲームや、アトラクションのような気分での出国だった。
6/26~7/5のうち、実際にいるのは8日間ほど。飛行機はトルコ航空でトルコ経由、イラン航空でテヘラン入り。夜行バス泊、内陸部のエスファハン2泊、寝台列車泊、カスピ海沿いのラシュト1泊、バンダレ・アンザリーに1泊。最後のテヘランに2泊。イランの乗り物は、聞いていたとおり安い。さすがは産油国だ。

<イランの食事>
数年前にトルコやパキスタンに行ったことがあるため、イスラム圏の食事は想像がつく。ケバーブという焼肉が代表的。もちろんイスラムで嫌うブタ肉だけは除く。パン類もその場で焼きたての店が多い。生活水準が豊かなイランでは、地鶏のチキンばかりではなく、ラム(子羊)もビーフもやわらかく、くせなくおいしい。日本の霜降り和牛に負けないほどなのだ。チキンは、トマトと一緒にグリルされたり、炭火で焼き鳥になったりする。イランでは旬の物を、素材の味を大切してに味わう。胡瓜のピクルス以外、保存食らしき物は見かけなかった。味付けも塩とトマト風味が多い。日本ほど、食材の数も少なく、調理法も限られている。しかし、カスピ海側では、魚のムニエルや、ナスの炒め煮など、日本人の口に合う食材が加わる。さらに、トルコ料理店やインド料理店などがあり、いろいろな国の料理も食べられるから、飽きることはなかった。
そして、極めつけがフルーツジュース。沙漠の暑い太陽のせいか、メロンにチェリーにマンゴージュースも甘くておいしい。ええ歳の「おっさん」らまでが、ビールがわりにがぶがぶと飲む(パキスタンのおじさん達もそうだった)。ジュースをビール代わりと言っては見たものの、次第に禁酒がつらくなった私は、輸入物のヨーロッパ製のノンアルコールビールについに手を伸ばす(日本では日本酒かワイン派であるが、ここでは贅沢行ってられない)。高価であまりうまくない缶ビールを毎日4本も買い込むのを、さもおかしそうに店員達が笑う。パン類は、厚めのピザ生地のようなものから、クレープ状のものまで、いろいろあり、土窯の焼きたてはおいしい。ホテルでは、分厚いパンに、はちみつやバター、ジャムをたっぷりつけて食べた。カスピ海周辺は、はちみつの産地でもあって、かおりたかく濃厚で、特別おいしかった。もちろん、カスピ海ヨーグルトは絶品。日本で紹介されているような、とろとろねばねばではなくって、しっかりと硬く、酸味が強く飽きの来ない味だった。
お菓子では、紅白のソフトクリームにジェラート、シュークリーム、中華まんじゅうのようなもの、岩おこしのようなものまである。「岩おこし」は、ゴマやクルミなどを香辛料とともにはちみつで練り固めたもので、味もまさしく岩おこし。こっちが本場で、日本にはシルクロードで伝わったのかも。アイスは、トルコに似てとろりと粘っている。ここでも、髭の濃い「おっさん」が山盛りのアイスパフェをほうばるシーンが、よく見られた。アジアのお菓子は現代日本人には甘すぎるものが多いが、イランのデザート類は結構洗練されていて、口に合う。
こうして、8日間の禁酒に堪え、トルコ行きの機内で飲んだビールは、どんな銘柄でも最高の気分!しかし、久しぶりのせいか、たった缶ビール1杯でもやたらとまわってくらくらした。トルコではビールジョッキでぐびぐび。すでに肝臓が復活したようだ。もう、まわらない。今までの分を取り返す気持ちで飲み干す。禁酒国で肝臓を休めるのはいいが、リバウンドが心配であった。

<イランの観光>……中央部乾燥地帯
砂漠のオアシス、エスファハンはかつての都、日本でいう京都のような観光地である。ほとんど雨が降らないようで、屋根が全くの平ら。上から見下ろすと、ドームのあるところだけがぽこぽこと土盛りのようになっている。中庭が回廊のようになり、各部屋のあかりとりになっている。古代都市、イタリアのポンペイやトルコのエフィソスも、これと似たつくりで、幾何学模様の池や木々の植わった中庭があったが、イランを歩くとあの古代都市が現代によみがえったようだ。空のブルーに映えるように、きれいな青色のモスクや宮殿が続く。広場も建物も視覚効果が計算され尽くされていて、洗練されていて美しい。イランの人は図形や色彩のセンスが素晴らしいが、こんな環境にいれば当然だと思ってしまう。有名なエマーム広場のモスクのドームは、見上げると満天の星空のようで、いつまで眺めても見飽きない。しかし、文化遺産の保護がきがかりだった。宮殿の壁画はらくがきだらけ、削られていたり穴が空いていたり。このままでは貴重な遺産が失われてしまう。観光名所の一つ、ザーヤンデ川に美しい石の橋がかかっているが、その川の水はごみで恐ろしく汚い。しかし、観光に力を入れているイスファハンでは、しょっちゅう道路や川を清掃し、公園の芝生や街路樹に水を撒いたり、手入れを人があり、日本よりも景観に人手と手間をかけていることは間違いない。
建物が素晴らしいといえば、不思議な建物にも遭遇した。イスファハンの郊外で、「メナーレ・ジョンバーン」という、ゆれる塔だ。左右対称の塔の一方に登って人が揺らすと、反対側の塔が共振を起こし、ゆれるのだ。10時から実演というので、3階建てほどのドームの屋上の小さな塔のすぐそばまで行って見た。ドームと塔が数センチ離れるほど激しく揺らしている。反対側に鈴がついていて、しばらく揺らしていると共鳴するかのように鈴が鳴り始める。どんな構造になっているのか。それを思い付いた16世紀のイランの建築士に脱帽だ。
イランの南部に行けば、ペルセポリスなど、紀元前の遺跡があるのだろうか、今回見た一番古い遺跡は、3~7世紀頃に建てられた、イスファハン郊外にあるゾロアスター教の神殿あとだった。100mに満たない小高い丘の上に、土のレンガでつくられている。すでに屋根もなく、丸い壁と窓が残るばかりだ。360度の眺めが素晴らしく、赤土の山のふもとに川を挟んで一面の緑が広がり、川のほとりに街がある。ごみが目立ったザーヤンデ川であったが、ここらか見ると水の流れの絶えない美しい恵みの川である。確かに、ここの緑は勝手にはえたのではなく、川と人が育てている。イスファハンはオアシスだという実感が湧く。もう、帰ろうかというときに、シンドバットのようにターバン風にショールを頭に巻き付けた、西洋人の女性4人グループと出会う。あれは使える、今度はショールを買ってやろうと誓う。

2011年5月1日日曜日

Bunga Bunga(ブンガブンガ)

  • 2011/5/1 21:54

  • Bunga Bunga


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    • 未成年買春で起訴されたイタリアのベルルスコーニ首相のニュースについて。

      少女だったから騒がれたんだろう。
      (大人であれば)オープンで健康的なお国柄だ。

      秘密パーティブンガブンガで、男の裸体像にキスするよう命じたらしい。
      少女達は像のどこにキスをしたのか?フェラチオでもしたのだろうか?

      裸の蝋人形の中にイタリアの首相がまぎれていたら、面白かっただろうな。

      一方で、某国では、
      制御棒をつっこんでもなお、内部が暑くなって止まらない原子炉に向かって射精(放水)している。
      秘密パーティの内部探検は、高温多湿、暗がりの手探りなのだろうか。防護服はゴム製か。長靴に穴が開いていないか、互いにチェックして着用だ。
      でないと、連鎖反応で増殖するぞ!


  • ブンガブンガは、任意参加のパーティらしい。
    首相主宰の、権力金銭がらみ、半強制的な雰囲気とはいえ、
    密室ではなく大勢の前であり、見る自由、見ない自由、脱ぐ自由、脱がない自由がある。

    原子炉の調査は密室であり、作業員に見ない自由、暴露しない自由というのはない。
    任意参加で、互いに危険を確認しあい、法に触れないように
    健康的でオープンな大人の関係であって欲しい。

    2011年4月29日金曜日

    最近の大阪の気候、気象

  • 2011/4/27 16:21

  • 最近の大阪の気候

    • 最近、夏の夕立のような突風と土砂降りが3日あった。
    • 先週から大阪城公園の樹木や此花区の桜島駅の周辺で、茶色の葉が落葉している
    • 去年の猛暑のせいなのか?
      それとも大気汚染か?

    異常気象は、この十数年、日本では珍しくなくなりました。
    長雨の続く年、12月まで暑い年もあれば、
    昨年のように、猛暑旱魃が続いたかと思うと、
    冬には雪と氷点下の寒さが、大阪でも訪れました。

    人間や動植物の病気や死亡の原因が、
    酸性雨のせいか、大気汚染、温暖化などのせいか、はっきりしてもらわなければ、
    どこまでが今回の福島原発の影響かどうか、誰もわからないことでしょう。
    •  

    2011年4月19日火曜日

    ブログとフェイスブック掲載のまとめ。Summary of Blogs & Facebook

    ●Facebookにも、「今日の提言シリーズ2」を
    日本語、英語にて転載しております。
    つたない英文は、直筆ですのでご容赦のほどを。


    これまで掲載したブログをまとめますと、

    ●Today's sugggestion 今日の提言(モバトークより)シリーズは、こちらです。
    ……モバゲータウンの投稿、2010年10月2日以降
    日頃のニュースについて、友人に向けて書かれた、軽いトーク調
    http://tamaki-comoike.blogspot.com/?zx=c5c3a2b8c4362779
    ●Today's sugggestion 2今日の提言シリーズ2は、こちらです。
    ……2010年12月10日以降、日本の皆様に向かっての
    日本語による提案集。Japanese version
    http://tamasemmel.blogspot.com/


    ●Today's sugggestion 2in Englishはこちらです。
    ……2011年2月23日以降、ニュージーランドと日本の地震について、
    日本在住外国人及び海外の方々に、地震先進国である日本が培ってきたノウハウを、
    菰池自身の意見を交えて発信する、シリーズ2の英訳English version 。
    (4月18日に加筆訂正済み)

    http://todayssuggestion.blogspot.com/

    ●たま語録……日本の教育について、10年前より書き溜めたもの。
    http://tamagoroku.blogspot.com/

    現在、この他、
    「柔道&闘病日記」、「信太ワールド」の掲載を検討中です。

    2011年4月15日金曜日

    4月14日付けのニュース、管首相の「20年間住めない」発言について。

  • 2011/4/14 19:31




  • 4月14日の政治ニュース




    • "アバター"
      • 4月14日のニュース について:
      • フランス人でさえ、困った時は協力しょうと駆けつけてくれております。すでに駆けつけてくれていらっしゃる野党の方々も、こんな時こそ、敵味方関係なく協力してのりきりましょう。足を引っ張りあって被害拡大して困るのは、日本全国同じです。


    • コメント(1)
    • "アバター" 2011/4/14 19:39 こうじくん← 仏国は国内電力の80%を原子力で発電しています。この原発事故からフランス国内の原発反対を恐れて早期解決を目指したい事情が有りますからemoji 米国もほぼ同じくemoji 通りすがり

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